◆プロ野球選手としての意識の高さを学んだ

 2006年が終わり、次の年をさらなる飛躍の年にしたいと思った私は、オフに鹿児島・最福寺で護摩行を経験しました。レギュラーを奪うためには、精神力も鍛えたいと思ったからです。

 経験したからこそ分かりますが、護摩行は、言葉で表すことができない辛さがあります。護摩行最終日には、辛さに耐えることができない自分が情けなく、急に涙が出てきました。

 それだけ辛い思いをしただけに、2007年の開幕戦には並ならぬ思いを持っていましたが、なんと開幕戦で私はハムストリングの故障をしてしまいました。

 犠牲フライでホームに還った際に痛めてしまったのですが、ベンチ裏で『もうこのハムストリングはダメだな』と分かった瞬間はとても辛かったです。

 『あの護摩行は何だったんだ』。そう思うこともありましたが、決して気持ちを切らさずに試合復帰に向けて準備をしていると、4月28日の阪神戦で守備固めとして出場し、翌日には6番・ライトとしてスタメン起用してもらいました。

 さらに復帰後第1打席は満塁の大チャンス。ここで消極的になったらダメだと思い初球から振った結果は見事ホームラン。巡ってきた絶好のチャンスに一振りで結果を出す事ができました。

 2008年はとにかく絶不調で収穫もあまりなく、正直クビを覚悟した部分もありましたが、09年はマツダスタジアム初年度という事で、すごくワクワクしたことを覚えています。

 全てのスケールが大きく、米大リーグの球場のようだと感じました。この年は紅白戦、オープン戦通して三割を打っていましたが、公式戦開幕後に打撃不調に陥ってしまいました。10打席連続で安打が出ず『まずいな……』と思っていた所で、首脳陣から二軍降格を告げられました。

 この時、自分は10打席前後で結果を残さなければいけない立場なんだと改めて認識させられた出来事でした。

 降格後は苦しかったですし、再び一軍に昇格した際にも結果がなかなか出ませんでした。ですが、夏場から調子を取り戻し、シーズンを通してそれなりの結果を出すことができました。

 2009年と言えば緒方孝市さんが現役を引退された年です。入団した当時から外野のレギュラーとして活躍していた選手ですし、緒方さんからはプロ野球選手としての意識の高さを学びました。

 緒方さんはキャンプから始まりシーズン終了まで、常に自分に厳しくストイックな存在でした。特に自分の中で印象的だったのは、守備に対する意識の高さです。

 状況によって細やかに周囲と連係を取りながら守備位置を変えていましたし、僕は緒方さんから守備に対する気配りの大切さを学ばせていただきました。それは、自分が年齢を重ねて後輩たちを引っ張る立場になった時にも生かされたと思います。

 その後カープの外野を守っている赤松真人や、丸佳浩にも良い形で受け継がれていると思っています。

 そして2010年、チームは新監督として野村謙二郎さんを迎えます。

 とにかくチームの負け癖を払拭しようと奮闘されていた印象が強い野村さんでしたが、私はその年、現役生活で最高の成績を残すことになるのです。

【第3回目につづく】

廣瀬 純/ひろせ じゅん
1979年3月29日生、大分県出身。2000年に法政大から逆指名ドラフト2位で、カープに入団。ルーキーイヤーから80試合に出場するなど、強打の外野手として活躍。その後低迷した時期を過ごしたが、2010年には強肩強打を武器に135試合に出場して、打率.300、ゴールデン・グラブ賞を受賞するなど低迷期のカープを支え2016年に現役を引退。現在はカープの二軍外野守備・走塁コーチとしてカープを支える。

広島アスリートマガジン4月号は、いよいよ始動した新井新監督が表紙を飾ります!広島のスポーツチームを率いる監督たちの哲学にもご注目ください!
2023年WBC・侍ジャパングッズを販売中!数量限定の受注販売となりますのでお早めにチェックを!(オンラインショップ:WinMallはこちら