15年連続Bクラスからの脱却を目指していた2013年シーズン、広島アスリートマガジン本誌で『カープOBの提言』という短期連載企画を展開していた。その中で衣笠祥雄氏に2013年3月号にご登場願い、リーダー論について熱く語ってもらった。その秘蔵インタビューをWEBマガジンで再録しお届けしよう。

『鉄人』の愛称で親しまれた衣笠祥雄氏。1970年から現役引退する1987年にかけ、2215試合出場の大記録を打ち立てた。

◆チームのことをいかに考えられるか

 真のリーダーはチームの中で「あの選手がこの練習をしているから、真似しなければ」と言葉だけではなく行動でも示すことができて、なおかつ成績もきっちり残すことが必要となります。ただ長くチームに在籍しているだとか、年齢が上ということだけでは、若い選手も「ついていこう」という目線では見てくれないでしょう。

 その選手の人間性もあるでしょうが、チームリーダーという立場になっている選手は、『自分の成績よりも一番にチームの成績を考えることができる』。これがリーダーの定義でしょうね。そんな選手は自分の成績は残して当たり前で、それ以上にチームのことを考えられることが求められます。

 Aクラスから遠ざかっている今のカープはここ数年、終盤の競った時期に『経験の差』を指摘されることがあります。しかし、それはいつか乗り越えなければ、先がありません。

 私も初めて優勝を経験した1975年には、何も知りませんでした。思い起こせば『ひたすら苦しかった』ということです。

 当時、勢いという面でいえば、私、山本浩二、大下剛史さん、外木場義郎の4人が選ばれたオールスター戦で大活躍したことによって『赤ヘル軍団』という名前ができました。これが一つの勢い、きっかけをくれました。そんな中で8月に首位に立ち、9月に入ったときにはただ『勝たなければいけない』という思いだけでした。

 経験がないだけに『この時期はどういうプレッシャーがかかるのか?どう体調管理をするのか?』などの方法論を知らないのです。一つだけ分かっていたことが『勝つこと』。それだけに毎日が苦しかったです。

 今の選手たちに何か方法論があるか?とアドバイスできることはありません。自分たちで乗り越えて手に入れるしかないのです。優勝をして、勝つ喜びを覚えたときに初めて『いろんな答え』が出てくると思います。

 初優勝を果たした1975年当時、優勝経験がない中で『リーダー的存在は誰だったのか?』というと、やはり(山本)浩二と私だったのでしょう。何かあったときに賞賛と批判の矢面に立っていたのは、この2人だったと思います。しかし当時のカープでは、優勝を経験したあの1年で『リーダー』というものが明確になり、私たち2人がそんな風になれたのではないかと思います。

 当時監督の古葉竹識さんは、私が入団した当時のレギュラー選手でしたし、信頼関係もありました。浩二にしても私にしても信頼してくれていました。水谷実雄、三村敏之にしても、1969年から一緒にプレーしていた仲間でした。そんな中で古葉さんが監督になられて『どうすれば古葉監督に協力ができるか?』ということをみんな考えていました。(続く)