2023年6月16日、カープ球団初の200勝投手であり、コーチ・野球解説者としても愛された北別府学氏が旅立った。“精密機械”と呼ばれる抜群のコントロールでカープ投手王国を支えたエースの訃報に、多くのファン、関係者は悲しみに暮れた。

 ここでは、北別府氏の魂を受け継ぐカープの“エース”たちのインタビューを再編集して掲載する。今回はコロナ禍にあった2020年当時、大瀬良大地が語った“エースとしての自覚”を振り返る。(広島アスリートマガジン2020年6月号掲載)

2023年、球団3人目となる5年連続開幕投手を務めた大瀬良大地(写真は2023年4月7日撮影)

◆開幕投手を任されたエースが、更なる飛躍を求めフォーム改革に着手

 2020年3月20日、大瀬良大地は開幕投手としてマツダスタジアムのマウンドに上がっているはずだった。

 しかしコロナ禍の影響によりプロ野球界は対応に終われ、3月9日の第2回対策連絡会議で3月20日の予定であったプロ野球開幕の延期が決定。その後も4月24日を目標としていた開幕も再延期となり、見通しが立たない状況が続いていた。

「『開幕投手を頼むぞ』と言われてからは3月20日に向けて調整していたので、開幕延期が決定したときにはすごく残念な思いもありました。でも状況も状況なので仕方がないという考えもありますし、複雑な心境でしたね……」

 佐々岡真司監督(当時)は就任時から、大瀬良に対し投手陣の大黒柱として大きな期待を寄せ、早々に開幕投手を言い伝えていた。

 4年ぶりのBクラスに終わった2019シーズンの悔しさを踏まえ、大瀬良はオフから自らを追い込み続けてきた。

 2018年、投球フォームを大幅変更したことで大きく飛躍した。15勝7敗で最多勝、最高勝率の2冠に輝き、先発陣の大黒柱として3連覇に大きく貢献。そして2019年は、自身初となる開幕投手を務めた。完投数は両リーグトップの6を記録し、3年連続二桁勝利となる11勝をマークしたが、2018年と比較すると全体的に数字を落とした。

 1年間戦える体力をつくり直す中で、自身が大きく飛躍する要因となった投球フォームの改良にも着手。それまでの2段モーションでは体に負担が掛かると考え、さらに負担の掛からないシンプルな投球フォームを試すなど試行錯誤を続けていた。

 カープのエースがさらに高みを目指し変化しようとする姿はメディアからの注目も集め、その姿がチームメートたちにも影響を与えたであろうことは想像に難くない。

◆2人の偉大なエースを思い返しながら若手と接する

 チームのエースである以上、その姿は若手投手にとっての模範でなければならない。

 当然大瀬良は現在のカープ投手陣における自身の立場を理解している。今年のキャンプでは例年以上に若手投手を引っ張る言動が目立っていたのも、エースとしての自覚だろう。

「年齢的にも投手陣を引っ張っていかなければならない立ち位置になってきているので、そこはグイグイやっていきたい部分ですね。1月までは個人個人がそれぞれの場所でトレーニングをしていますが、キャンプはみんなが集まって練習をします。そういったところで、僕がきっちりとした態度を示すことで『大瀬良さんがあれだけやっているのだから……』と何かを感じてくれる選手もいると思うんです。そういう雰囲気づくりを心がけました」

 プロ入り直後から絶対的エース・前田健太(現ツインズ)の背中を追い続け、2015年にはかつてのエースである黒田博樹とプレーを共にするなど、投手としてさまざまな影響を受けてきた。2人と接した時間の中で数々のことを学び、自らの成長につなげてきた。大瀬良は今、カープが誇る2人の偉大なエースを思い返しながら、若手と接しているという。

「『この場面であればマエケンさん(前田健太)ならこういう風なことを思うだろうな』であるとか、『黒田さんならこういう風に考えるだろうな』と、現在の立場だからこそ思い出すことはありますね。ただ、僕は僕で違った考え方をすることもありますし、マエケンさん、黒田さんから学んできたことを踏まえて、僕が上に立って感じることをミックスしながら良い形で若い選手に伝えていければと思っています」

 カープ投手陣を見渡せば、大瀬良よりも年下の投手が圧倒的に多くなっている。かつてエースとしてカープをけん引した2人の背中を追いながら、背番号14は、自らのエース道を歩んでいく。

《プロフィール》
◆大瀬良大地(おおせら だいち)
1991年6月17日/187cm・92kg/右投右打・投手
長崎県出身/長崎日大高-九州共立大-広島(2013年ドラフト1位)