『10』に代表されるように、サッカー界においても度々話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

2023年シーズンから、再び背番号『33』を背負っている塩谷司

◆残留争いからのV字回復を支えたMFが背負い、鉄板3バックの一角をなすDFが背負う背番号

 今回は背番号『33』を取り上げる。サンフレッチェでは出場機会に恵まれなかった選手がいる一方で、クラブ史に名を残す活躍を残した選手もいる番号だ。

 固定背番号制が始まった1997年に33番をつけたFW岩村貴久、翌1998年から33番を2年間つけたMF行友亮二は、どちらも公式戦では出場機会がなかった。サンフレッチェの33番をつけて初めて公式戦に出場したのは、2000年のFW栗原圭介。V川崎(現東京V)からの期限付き移籍で加入し、リーグ戦18試合に出場して4得点を挙げるなど一定の数字を残している。

 空き番号となった2001年を挟み、2002年以降しばらくはGKの背番号となった。2002年と2003年はGK尾勇史で、前身のヤマハ発動機時代から長く磐田でプレーし、福岡を経て加入。2003年限りで引退したため、現役最後のクラブがサンフレッチェだった。

 2004年はGK佐藤昭大が背番号33をつけた。当時サンフレッチェ広島ユース所属の高校3年生。高校生年代のチームに所属しながらJリーグの公式戦に出場できる2種登録選手として、リーグ戦のファーストステージで出場機会こそなかったものの、15試合中8試合で控えメンバーに入っている。この年は、背番号33をつけた選手が2人いた珍しい年で、セカンドステージでは京都から期限付き移籍で加入したGK上野秀章が33番となった。

 2005年と2006年はDF中尾真那が背負った33番は、2007年は空き番号となり、2008年途中からMF楽山孝志がつけた。千葉からの期限付き移籍で加入し、完全移籍に移行した2009年も33番でプレーしている。2010年にはG大阪からの期限付き移籍で加入したFW山崎雅人が背番号33を受け継いだ。

 空き番号となった2011年を経て、2012年途中から背番号33をつけたのは、水戸から完全移籍で加入したDF塩谷司。足立修強化部長によると「ゾロ目(2ケタ以上の数字で、すべてのケタが同じ数字の状態)の背番号を本人が希望した」とのことで、ここから長くサンフレッチェの33番=塩谷の時代が続くことになる。

 加入1年目のリーグ戦出場は3試合だったものの、初優勝メンバーの一員となり、翌年はリーグ戦全試合に出場してリーグ連覇に貢献。3バックの一角で守備の要となるだけでなく、攻撃でも効果的な働きを見せ、2015年には3回目のリーグ優勝の立役者の一人となった。

 2016年にはオーバーエイジ枠でリオデジャネイロ五輪に出場している。2017年途中に完全移籍したUAEのアル・アインでの背番号も33番だったが、本人いわく希望したわけではなく、現地に着くと「『サンフレッチェで33番だったから、33番でいいよね』と言われて、勝手に決められていた」という。

 2018年の33番は、大宮からの完全移籍で加入したMF和田拓也。右サイドバックのレギュラーとして活躍し、前年にJ1残留争いを強いられたサンフレッチェが、2位までV字回復する立役者の一人となったが、2019年開幕後に横浜FMへ期限付き移籍した。空き番号となった2020年を挟み、2021年からの2年間は、ヴァンフォーレ甲府から完全移籍で加入したDF今津佑太がつけた。

 そして今季、再び塩谷が背番号33をつけている。2021年途中にアル・アインからの完全移籍で4年ぶりに復帰したときの背番号は3番で、翌2022年も3番だったが、33番だった今津が移籍したため、かつての背番号をつけることに。もっとも本人いわく「『33番に戻すか?』と言われたので、いいですよと答えました。特にこだわりはないんです」とのこと。

 サンフレッチェ復帰後も3バックの一角やボランチで質の高いプレーを見せ、2022年はJリーグYBCルヴァンカップでの初優勝に貢献している。海外でのプレーを経験して復帰し、再び古巣のクラブで輝きを放つ姿は、同じようにサンフレッチェから海外に活躍の場を求めたFW浅野拓磨、MF川辺駿など後輩の選手たちも、いつか復帰して活躍してくれるのではないかというファン・サポーターの希望ともなっている。