Jリーグ創設以来30年間、ホームスタジアムとしてサンフレッチェを見守り続けてきたエディオンスタジアム広島。ビッグアーチと呼ばれた時代から、ここでは多くの記録と記憶が誕生した。ラストイヤーを迎えたエディオンスタジアム。そこに刻まれた紫の足跡を、関係者たちの言葉で振り返っていく。

 連載第1回は、 森﨑浩司アンバサダーが登場。広島一筋で17年プレーし、現在もアンバサダーとして活躍する森﨑氏が、デビューから引退までを過ごしたエディオンスタジアム広島との日々を振り返る。

兄の森﨑和幸(現クラブリレーションマネージャー。写真左端)、森保一監督(左から二人目)、佐藤寿人氏(右から二人目)とシャーレを掲げる森﨑浩司氏。

◆サンフレッチェの一員として戦えたのは、僕にとって幸せな思い出

ー選手として体感するエディスタと、アンバサダーという立場で見るエディスタとでは、違いはありますか?

「まずはプレッシャーが違いますね。選手の時は、とにかく『試合に勝つんだ』、『戦いに挑むんだ』という気持ちでしたが、今はサンフレッチェに関わる一人の人間として、今日はスタジアムを盛り上げていけるかな、観客はどのくらい入っているかなという視点や感覚でエディスタに入ります。来場者の方たちと触れ合ったり、サポーターのみなさんの声援を客観的に見る機会も多いです。夜の試合であっても、朝早くからエディスタに来てくださっているみなさんを見ていると、チームに対してこんなに熱い思いを持った方がいらっしゃるのは、本当にありがたいことだと感じます。こういう方たちに支えられているんだなと実感しますね。

 逆に選手の立場で印象に残っているのは、入場する時の、緊張感や『戦いに行くんだ』というモチベーションが入り混じる瞬間です。自分にとっては、一気にスイッチが入る場面でもありました。

 それから、もう一つ好きだったのは、B6のサポーターゾーンです。ゴールを決めた時にB6に向かって駆け寄ることがあるのですが、歓喜に沸いている瞬間のB6は最高でしたね。名前をコールしてもらえるのもうれしいですし、チャント(応援歌)が聞こえてくるのもうれしかったです。個人チャントができた時は、サポーターからサンフレッチェの一員として、選手として、認めてもらった瞬間なんです。だからこそ、自分のチャントが聞こえてくるのはうれしい瞬間でしたし、モチベーションにもなりました。ウォーミングアップの時に、選手一人ずつのチャントを歌ってくれるのですが、自分のチャントを初めて聞いた瞬間は、本当にうれしかったですね。今は(野津田)岳人が僕のチャントを引き継いでくれています。サポーターの方から『浩司さんのチャントを岳人に使いたいです』というお話をいただいた時は、背番号と一緒にチャントも受け継いでもらえるんだと感じて、本当にうれしかったです」

ー最後に、森﨑さんにとってエディスタとは、どのような場所だったのでしょうか。

「サッカー選手として成長させてもらった場所でもあり、何ものにも替え難い声援を送ってもらった場所でもあり、とても感情を揺さぶられた場所でもあります。あんなに感情が揺さぶられることは、普通は経験できないことだと思うので、そういう意味でも、刺激を受けた場所だと思っています。

 とにかく今は、『ありがとう』という感謝の思いしかありません。プロサッカー選手になって、サンフレッチェの一員として戦えたのは、僕にとって幸せな思い出です。悔しい思い出もありますが、今となっては、すべてがとても良い思い出になっています」

《プロフィール》
森﨑浩司(もりさき・こうじ)
1981年5月9日生、広島県出身
サンフレッチェ広島ユースから、2000年にサンフレッチェ広島加入。得点感覚に優れたMFとして活躍し、2004年にはアテネ五輪に出場。双子の兄である森﨑和幸と共にチームの主力として、3度のJ1制覇に大きく貢献。2016年に現役を引退し、現在はクラブアンバサダーとして広報活動に尽力する。