長いシーズンにおいて、チームの選手起用や作戦の幅を大きく広げ、 有事の際の救世主となるのが複数ポジションを守れるユーティリティープレーヤーの存在。現在カープでは上本崇司がその代表的選手としてチームを支えている。ここでは、初優勝以降のカープ歴代ユーティリティーたちを振り返る。(全2回/前編)

1980年代のカープ黄金時代に活躍した木下富雄氏。写真は二軍監督時代

◆第一期黄金時代を支えたいぶし銀/木下富雄  

 1973年ドラフト1位でカープに入団し、1980年代の黄金時代を支えた名ユーティリティープレーヤー。入団当初はショートを守っていたが、古葉竹識監督に内外野どこでもできる器用さを評価され、セカンド、サード、ショートを中心に出場。初優勝以降は主にセカンドで存在感を発揮した。

 若手時代は先輩の三村敏之と、中堅となってからは後輩の髙橋慶彦との二遊間コンビを組んで活躍し、5度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1980年の日本シリーズでは優秀選手に選ばれた。1987年限りで引退後は一軍チーフコーチや二軍監督などを務めた。

【一軍通算成績】1364試合 583安打 48本塁打 221打点 106盗塁 打率.240   

◆堅実な守備で試合終盤を締めた名バイプレーヤー/高 信二 

 投手王国と呼ばれた1985年にカープ入団。1998年の引退までカープ一筋でプレーした。プロ3年目から一軍に定着すると、その堅実な守備で首脳陣の信頼を得た。主にサードとショートを専門としたが、内野ポジションはいずれもチームでトップクラスの技術を誇り、終盤の重要な局面での守備固めとして歴代監督に重用された。また打数こそ少ないものの、左の代打としても重宝された。

 現役引退後もスタッフやコーチとしてカープ球団に残り、2016年〜2018年の3連覇には一軍ヘッドコーチとして貢献。2021年より再び二軍監督に就任し、若手選手の育成に力を注いでいる。

【一軍通算成績】668試合 139安打 3本塁打 50打点 8盗塁 打率.235

◆背番号0を継承した松坂世代の苦労人/井生崇光

 1998年ドラフトで入団した「松坂世代」。守備力の高さを評価されながらも、故障などで苦しみ、一軍初出場はプロ入り7年目の2005年。翌年には就任したばかりのマーティー・ブラウン監督から、内外野をこなす柔軟な守備力を買われ、木村拓也に続くユーティリティープレーヤーとしての活躍が期待された。

 その年は代打、守備固めを中心に、外野手、ファースト、サード、そして捕手でも試合途中から1試合に出場。2012年に現役を引退し、その後はカープのスコアラーや一軍管理課長などを務めている。

【一軍通算成績】159試合 74安打 1本塁打 19打点 2盗塁 打率.266

◆投手以外の全てのポジションで起用/木村拓也

 投手以外のすべてのポジションで公式戦に出場した球界を代表するユーティリティープレーヤー。1990年に捕手としてドラフト外で日本ハムに入団するも、出場機会に恵まれず外野手に転向。

 1995年にカープ移籍後は内野手も兼ねるようになり、ユーティリティープレーヤーとしての地位を確立。1999年には捕手として4試合に出場し、投手以外のすべてで起用された。2000年からは主にセカンドとしてレギュラーに定着。複数ポジションをこなせることが評価され、2004年にはアテネ五輪野球日本代表に選出された。

【一軍通算成績】1523試合 1049安打 53本塁打 280打点 103盗塁 打率.262

《後編は2024年のユーティリティプレーヤー》

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