◆大学4年春の静岡県リーグで首位打者に

─  ルーキーインタビューということで、これまでの野球人生について改めて聞かせてください。野球を始めたのはいつですか?
 「小学校に入学して半月ぐらい経ってから地域のチームに入りました。6歳年上の兄の影響で幼稚園の頃から遊びでキャッチボールなどはしていたんですが、当時はサッカーもやったりしていました。チームに所属してからは野球一本ですね」

─ 高校は地元から離れ静岡の飛龍高に進まれました。何かきっかけがあったのでしょうか?
 「中学校の頃に所属していた野球チームの監督さんと飛龍高の監督さんが知り合いだったことが大きいですね。大阪の私立高野球部から声がかからなかったので公立高に進学しようかと思っていたのですが、運良く飛龍高から声をかけてもらいました」

─ その後静岡産業大に進学されました。どんな大学時代でしたか?
 「打撃コーチがいなかったので、自分で考えて練習するようになりました。西武の秋山翔吾さんや、日本ハムの西川遥輝さんの打撃フォームを見て良いところを取り入れていくようにしました。(西川)龍馬さんも参考にしましたね。そういうところで観察眼は身についたと思います」

─ 大学時代は何番を打っていましたか?
 「最初は4番を打っていたんですが、全然打てなくて。最終的には1番に落ち着きました。3番を打ってほしいと監督から言われたこともありましたが、自分から『1番を打たせてほしい』と伝えました」

─ 1番にこだわりがあったのですね。
 「こだわりというか一番打席が欲しかったんですよね。あと3番があまり好きじゃなかったのもあります。自分の中で『走者を返さなくちゃ』と力んでしまうのが嫌だったんです。気楽に1番を打って、出塁して『僕をホームに返してください』という気持ちの方があっていましたね(笑)。実際1番を打っていたときは調子も良くて4年の春に首位打者になりましたし、『1番は自分が打つしかないだろ』と思っていました」