地元広島の三次高から名門の駒澤大を経た梵は、日産自動車時代には首位打者の獲得、社会人ベストナインなどを受賞。その活躍がスカウトの目にとまり、05年にカープが大学生・社会人ドラフト3巡目で指名された。25歳でのプロ入りにはなったが、山本浩二以来37年ぶりとなる新人開幕スタメンを掴み取ると、以降もコンスタントにヒットを量産。結果、新人安打数球団記録を48年ぶりに更新するなど、期待に違わぬ活躍を見せて新人王を獲得した。同タイトルの獲得は、球団野手では84年の小早川毅彦以来二人目の快挙だった。

野村謙二郎氏を新監督に迎えた10年には、チーム唯一の全試合出場を果たして初の打率3割(.306)をマーク。97年の緒方孝市以来となる盗塁王(43個)、ショートとしてゴールデン・グラブ賞も受賞した。その後は11年に自打球で左膝を故障するなど、コンスタントに成績を残すことはできなかったが、「ここぞ」という場面では勝負強い打撃を披露し続けた。13年には、規定打席に僅か届かなかったものの、打率.304をマーク。球団初のクライマックス・シリーズ進出に大きく貢献した。グラウンド以外では14年から2年間、選手会長としてチームをまとめた。リードオフマン、ときにはクリーンアップとして、万年Bクラスと揶揄された低迷期のカープを支え続けた。