今年カープが球団創立70周年を迎えたことを記念して、新井貴浩氏にカープファンだった幼少期も含め、カープにまつわる思い出を語ってもらう本連載。独自の目線から選ぶ数々の名シーンを、当時の思い出とともに語り尽くしてもらった。

「物心ついた頃からカープファン」と語る新井貴浩氏。広島出身の新井氏にとって、カープは最も身近な球団だった。

 本題に入る前に、そもそも僕はいつからカープファンかと聞かれると……分からないです(笑)。なぜなら物心がついた時からカープファンでしたからね。もちろん両親が熱心なカープファンでしたし、自宅でカープ中継は必ずと言っていいほど見ていました。試合途中にテレビ中継が終わってしまったら、すぐにRCCラジオで中継を聴くというのが、ルーティンでした。これは、広島のカープファンの方なら一度は経験したことのある、カープ戦の見方なのではないでしょうか(笑)。

 そんな家庭で育っただけに、もちろん小さな頃から旧広島市民球場(以下、市民球場)に連れて行ってもらっていました。当時の僕は、カープの勝ち負けというよりも、『市民球場でカープの選手を生で見ることができる』ということ自体がすごくうれしかったですね。そして、だいたい三塁側の内野指定席で観戦していました。その理由は“一塁側のカープベンチを見たかったから”です。ですから、試合の流れとか、勝ち負けなんて気にすることなく、「あの選手があそこに座っとる!」なんて言いながら、カープの選手をたくさん見たいものですから、グラウンド、ベンチの中までカープの選手を目で追っていました。あと、周囲の大人のカープファンの方々は広島弁でのヤジがすごかった記憶があります(苦笑)。

 ちなみに少年時代、僕が一番好きな選手はミスター赤ヘル・山本浩二さんでした。達川光男さんではなかったと記憶しています(笑)。よくモノマネをしていたのが長内孝さんの特徴的なバッティングフォームです。長内さんは構えるときにお尻をプリっと動かしてタイミングを取られていたんですが、友達同士でよくマネしていましたね。本当にそこら辺にいる普通のカープファンの少年だったと思います。それだけに、後にカープに入団したときは当時監督の達川さんも「あ! 達川だ!」だとか、打撃コーチだった長内さんも「あ! あの長内だ!」みたいに……入団直後はまだまだ、カープファン目線は正直残ってました(苦笑)。