昨シーズンは『得点力強化』が課題と言われた新井カープ。今季のキャンプでは野手陣の振り込み、練習量が話題となった。選手を猛練習で鍛え上げていくのが、カープ選手育成の伝統だ。ここでは日本一も経験したOB・山崎隆造氏が、かつて語っていたキャンプの思い出とエピソードを振り返る(過去掲載記事を再編集・全2回/第2回)
◆時代を超えて受け継がれる信念
(前編から続き)首脳陣のなかでも、とりわけ大下ヘッドコーチの指導は厳しかったですね。厳しい声や指示が毎日のように飛んでいましたし、「練習が嫌ならトレードに出してやる」とも言われました。みなさんがイメージされている通り『鬼軍曹』という呼び名がぴったりの存在でした。
ただ、大下さんには、強いカープを取り戻さないといけないという相当な覚悟があったのはたしかです。何度となく厳しい言葉をかけられましたが、1988年の秋季キャンプを乗り越えたからこそ、チームの結束力は高まりましたし、いま振り返ると、私自身の選手寿命も伸びたように感じています。
当時の私はプロ12年目の30歳。過渡期と言われる年齢だっただけに、ここでもう一度頑張りたいという思いがありました。大下さんの厳しさは前々から知っていましたから、覚悟をもって秋季キャンプに臨みましたし、私の野球人生の中でも、この時のキャンプは、体力的にも精神的にも、もう一度鍛え直してもらったキャンプでした。というのも、私自身もチームも、『ぬるま湯に浸かりはじめているかもしれない』と感じる部分があったからです。そういう意味では、プロ野球選手として、新たに気持ちを引き締めるターニングポイントとなる時間だったように思います。
山本監督のもと、結果的にチームは1991年に5年ぶりにリーグ優勝を果たしました。あらためて振り返ると、この年の優勝は、厳しいキャンプを乗り越えてきたからこそ、チーム全員でつかみとれた優勝だと思います。1988年の秋季キャンプ以降も、浩二さんと大下さんからは、もう一度リセットしてゼロから強いチームをつくりあげるという強い気持ちを常に感じていましたし、当時は世代交代のタイミングでもありました。
1991年に投打の柱として活躍し優勝に貢献した野村謙二郎(1989年入団)や佐々岡真司(1990年入団)がカープに入団した時期でもありましたから、将来のカープを担うであろう彼らを鍛え上げてチーム力を底上げする狙いもあったはずです。12球団一とも言われる厳しい練習を経験したことで、若い選手にはプロの厳しさが芽生えたと思いますし、この時の苦しい経験は、現役生活を送るうえで大きな財産になったのではないかと思います。
どれだけ時代が変わっても、カープの厳しい練習というのは、時代に応じて形を変えながら、常にチームの伝統として息づいているように感じます。当然練習メニューは違う部分があるかもしれませんが、今の選手も本当によく練習していますから。猛練習が選手を強くする、その信念だけは変わらず、チームに受け継がれていっていると感じますし、その厳しさこそ、カープキャンプならではの伝統だと思いますね。