チャンスの場面、ピンチの場面……「ここぞ」という場面で活躍し、チームに勝利を引き寄せる『スペシャリスト』たち。カープの歴史上にも、投打のスペシャリストが名を連ねている。ここでは、犠打の名手たちを振り返っていく。
【カープが誇る犠打のスペシャリスト】
◆菊池涼介
プロ2年目の2013年にセカンドのレギュラーをつかむと、不動の2番として打線の“つなぎ役”として活躍。2016年にはMPB史上初となる、『最多安打と最多犠打の同時受賞』を達成した。シーズン最多犠打8回、6年連続シーズン最多犠打(2015〜2020年まで)の日本プロ野球記録を樹立している。
◆正田耕三
「2番・セカンド・正田」のアナウンスが旧広島市民球場に響き渡ると、“今日もカープの試合が始まる”と高揚したファンも多いはず。1987年に篠塚和典(元・巨人)と並んで首位打者を獲得したが、最後はバントヒットを決めて篠塚と同率に並んだほど、バントの名手でもあったことは今でも語り草となっている。
◆東出輝裕
高卒ルーキーながら1999年に一軍初出場を果たし、セカンドやショートとして活躍した東出。チーム力が低迷していた2000年代のカープにおいて、チーム1のバントの名手としてチャンスを広げる役割を担った。2001年には当時の球団記録となるシーズン49犠打をマーク。現役引退後はコーチとしてカープを支え続けている。