筋力や柔軟性といったフィジカル面の強化、あるいはトラッキングデータに基づいたフォームの最適化。これまで『スポーツ科学』という分野は、アスリートの身体的なメカニズムを次々と解き明かしてきた。しかし、鍛え上げられた身体を思い通りに操るのは『司令塔』の存在があってのことだ。
「身体を動かす主役は脳です。スポーツのスキルの本質は、そこにあります」
そう語るのは、東京大学スポーツ先端科学連携研究機構(UTSSI)の中澤公孝教授だ。スポーツ科学の次なるフロンティアに挑む中澤教授に、『未来の野球』について話を聞いた。
◆超高速で脳が処理する内容は“ひとつだけ”
打者は、プロレベルになると時速150キロ近い速球を打ち返す。150キロのボールはピッチャーがリリースしてから0.4秒で、ボールはホームベースに到達する。その中で、軌道を見て打つべきか、そうでないかを判断するという作業が行われる。
中澤教授は打者にVRと脳波計を装着し、ストライク、ボールを判断する際の脳活動を計測。この実験に世界で初めて成功した。その結果は、従来考えられていたものとは大きく異なるものだった。
「打者は全部のボールに対して“打つ”態勢を取り、打つべきでないと判断したときにだけ“打たない”という指令が発せられる可能性が高い」
そう語るように、つまり超高速で脳が処理する内容は“ひとつだけ”ということだ。ストライクゾーンからボールゾーンに落ちたり逃げたりする鋭い変化球は、攻略が難しい。この軌道であれば打たない、という判断を精度良く行うことが『選球眼』の改善につながるのだ。
中澤教授は次に、『動作中の修正』に現在着目している。スイングを開始した後に、ボールの変化に合わせてスイング軌道を修正する能力だ。かつて、イチロー選手がスイングの軌道を修正して、多くのヒットを勝ち取っていたことを記憶している野球ファンも多いだろう。この軌道修正は、いかにして行われているのか。彼らの脳内ではどのような回路で処理されているのか、こんなことも研究によって解き明かされる日が来ようとしている。
「ボールの取捨選択や修正能力に関わる脳の部位が判明すれば、ニューロモジュレーションという手法で、脳を外部から刺激し、パフォーマンスの向上が図られる可能性もある」と中澤教授は話す。
現在では、メカニクス(フォーム)の追求や、筋力向上などのフィジカル強化がパフォーマンスアップの主流だが、近い将来はそれらに加え、効率的で活動性のある脳活動の調整も当たり前になる時代がやってくるかもしれない。

