かつてカープは『常勝・赤ヘル軍団』と呼ばれ、リーグ優勝、そして日本一を達成するなど多くのプロ野球ファンにその強さを知られてきた。ここでは、当時のカープを知るレジェンドOBの“提言”を、再編集してお届けする。
カープ時代はその俊足で三度の盗塁王に輝き、ベストナインを5回受賞するなど野手陣の中心として活躍した高橋慶彦氏。黄金期を築いた名選手の言葉で、70年代のカープを振り返っていく。(第1回/全4回)
(『広島アスリートマガジン』2012年12月号掲載記事を再編集)
◆黄金時代、カープには明確なビジョンがあった
私がカープで試合に出ていた頃は、10年以上強い時期が続きました。そんな強いチームになっていくには、やはり布石がありましたよね。
山本浩二さん、衣笠(祥雄)さん、三村(敏之)さんたちが初優勝前に根本(陸夫)さん、広岡(達朗)さんたちに鍛えられ、大下(剛史)さん、江夏(豊)さんがトレードでチームに加わったり、段階を経て強くなっていったと思います。
初優勝したときは盗塁王を獲った大下さんだけでなく、当時は浩二さん、衣笠さん、三村さんもみんな走っていて、カープの『走る野球』が開花してきたと思うんです。私はその手本になる先輩たちを見て育っていきました。
当時、強かったカープには明確なビジョンがあったと思います。
どういう選手を獲って、こういうチームづくりをしたい、そして現存の戦力に何を加えたらいいのかという中で、強いチームができてきたと思います。
そのビジョンの中で私も生まれましたし、山﨑(隆造)や正田(耕三)たちも生まれてきました。そんなチームの中に浩二さん、衣笠さんというしっかりした柱がいたからこそ、強いチームづくりを進めることができたのだと思います。
長期的なビジョンがしっかり循環してくると、「この主力選手は夏場に疲れてくるから、こんな選手を獲っておこう」、「ここで即戦力を獲っておけば10年は安泰だから、その後は潜在能力の高い若手を獲って育てよう」という考えでチームづくりができる。
しかし、ここで課題になってくるのが『FA制度』でした。FAで主力が抜けていってしまうことで、『若い選手が脂の乗った主力の姿を見て育つ』ことが難しくなっているように感じていたのです。
私たちの頃は、脂が乗り切っていた浩二さん、衣笠さんが、今でいうFAで出ていく年齢でもカープで活躍していて、そんな10歳以上歳が離れた選手を見本として若い私たちは育っていきました。主力にベテランがいる当時は、いい意味でプレッシャーを感じながら緊張感を持ってプレーをしていましたし、練習の仕方も見て育ってきました。
でも、歳が近い若い選手ばかりだと、そんなプレッシャーを感じることもできませんし、練習も自分で見つけていかなきゃいけない。チームにいい見本がいるというのは、チームづくりを進める上ですごく大事なのです。
そして現場を預かる監督ですが、個人的には、本当は5年、10年と同じ監督が続けることがいいと感じますね。カープは長いスパンでチームづくりを考えて、2〜3年は捨てなければならない覚悟もいると思います。
もちろんプロ野球なので、毎年勝とうとすることが前提にはありますが、カープのように育てなければならないチームこそ、FAという制度と上手く付き合っていかなければなりません。また、しっかりとした長期的なビジョンを持っていなければならないと思います。
(第2回へ続く)
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