各球団スカウトの情報収集の集大成であり、球団の方針による独自性も垣間見られるドラフト会議。カープはこれまで、数々の名スカウトたちが独自の眼力で多くの逸材を発掘してきた。

 ここでは、かつてカープのスカウトとして長年活躍してきた故・備前喜夫氏がカープレジェンドたちの獲得秘話を語っていた、広島アスリートマガジン創刊当時の連載『コイが生まれた日』を再編集して掲載する。

 今回はドラフト6位入団からカープの4番へと這い上がり、2016年にはチームを25年ぶりの優勝に導いた新井貴浩氏の入団秘話をお送りする。

チームが25年ぶりに優勝を果たした2016年は4番としてチームを牽引し、リーグMVPにも輝いた新井貴浩氏。

◆会議直前に指名決定。最後は“気持ち”が決め手だった

 駒沢大から入ってきた新井ですが、彼のことは広島工高時代から「遠くへ飛ばす力のある打者」ということで聞いていて、同い年で広陵高にいた二岡(元巨人)や福原(元阪神)同様、リストには上がっていました。

 実際に見てみると、確かに良いものは持っていました。当たればすごい距離を飛ばす。ただその大きな打球が出るのが、確率にしてみたらものすごく低く、高校ではレフトを守ってましたが、外野守備はドラフトで指名するレベルではありませんでした。それで(成功するのは)並大抵の努力ではダメだろうと思って、大学で4年間鍛えてもらって変わってくればということで(指名を)見送ったんです。

 しかしドラフト直前もスカウトの評価は決して高くありませんでした。高校時代からの「飛ばすけど粗い」「守備のレベルが低い」という課題はあまり克服されていなかったのです。

 守備面が一番の問題でした。「どこを守らせればいいんだろうか」というのが正直な所だったんです。大学では監督さんが彼の打撃をなんとか生かそうと思って、ファーストの他レフト、サードも守らせたようですが。

 我々スカウトから見たら、「サードだと189センチと長身ゆえに上体があるのでプロではとても使えんだろう。かといってファーストにしておくほどの打撃ではないし、外野ならどうかなぁ」と非常に悩まされる選手でした。

 正直言うと、(指名を)見送ろうというところまでいってたんです。しかし会議直前になって「一発長打という魅力を中心に考えれば、とても面白い選手なんじゃないか」という意見が強くなって、「じゃあその一発長打を期待して」ということで指名することになったんですよ。

 ウチが指名に踏み切った最大の理由、それはプロ入りに対してとても前向きで「プロに入りたいんだ」という気持ちが非常に強かったことです。球団も地元(カープ)でやりたいということでしたし。

 素質も当然大事ですが、指名されてプロに入るかどうか悩む選手より、「指名されたら絶対頑張る」という選手の方が伸びてくれると思いますよね。まさに新井はそんな選手でした。新井の第一印象は「大きいなぁ」でした。それで「これだけ大きけりゃたくさん食べるだろう。その食べる分くらいは稼いでくれよ」と話をしたのを覚えてますよ。

【備前喜夫】
1933年10月9日生-2015年9月7日没。広島県出身。旧姓は太田垣。尾道西高から1952年にカープ入団。長谷川良平と投手陣の両輪として活躍。チーム創設期を支え現役時代は通算115勝を挙げた。1962年に現役引退後、カープのコーチ、二軍監督としてチームに貢献。スカウトとしては25年間活動し、1987~2002年はチーフスカウトを務めた。野村謙二郎、前田智徳、佐々岡真司、金本知憲、黒田博樹などのレジェンドたちの獲得にチーフスカウトとして関わった。