12月17日、都内のホテルで『NPB AWARS 2020 supported by リポビタンD』が開催され、森下暢仁が入団当初から目標に掲げていたセ・リーグの新人王に選出された。カープでは2014年の大瀬良大地以来となる戴冠劇。球団10人目という節目のタイトル獲得を祝して、3回にわたりカープの歴代新人王を振り返る。

2006年から2009年まで、一軍打撃コーチとして後進の指導にあたった小早川毅彦氏。

◆津田恒実「唸る速球を武器に球団史上初の新人王を獲得」
<1982年成績/31試合11勝6敗/完投8/166.2回/防御率3.88>

 山口県南陽工業高から協和発酵を経て、1981年にカープからドラフト1位指名を受け入団。1984年までは、登録名が『恒美』だった。

 古葉竹識監督は期待のドラ1を先発ローテーションに固定。その期待に応えるように、津田も火を吹くような速球で打者を手玉にとっていった。結果、ルーキーイヤーから31試合に登板し、8つの完投を含む11勝をマーク。チームは5年ぶりにBクラスに沈んだものの、津田自身は球団初の新人王に輝いた。

 2年目以降はルーズショルダーなど故障に悩まされたが、1986年に抑えとして復活。闘志を前面に押し出すマウンドさばきで“炎のストッパー”の異名を取った。

◆小早川毅彦「初年度から3番に定着。球団野手初の新人王に」
<1984年成績/112試合/375打数105安打/本塁打16/59打点/盗塁8/打率.280>

 法政大在学中に4度のリーグ優勝に貢献した小早川は、早くから1983年ドラフトの目玉選手として注目を集めていた。なかでも山本浩二、衣笠祥雄の後継者を求めていたカープにとって、法政大のスラッガーはうってつけとも言える存在だった。

 ドラフト2位指名を受けカープに入団した小早川は、1年目から期待に違わぬ活躍を見せた。春先から好調をキープし、勝負強い打撃でチームを牽引。一時、状態を崩したもののシーズンの大半で主軸の3番を任され、4年ぶり4度目のリーグ優勝、3度目の日本一の原動力となった。

 個人としても球団野手では初となる新人王を獲得。2年目以降も“赤ヘルの若大将”として存在感を見せつけ、山本浩二、衣笠祥雄の引退後は4番としても活躍した。

◆川端順「パームボールの習得でプロ2年目に大ブレイク」
<1985年成績/45試合11勝7敗7セーブ/完投6/162.1回/防御率2.72>

 法政大から東芝に進み都市対抗野球大会優勝の原動力となった川端は、1983年にカープからドラフト1位指名を受け入団。ルーキーイヤーは15試合(先発2試合)の登板でわずか1勝1Sにとどまったものの、1985年に二軍でパームボールを習得したことをきっかけにブレイクを果たした。

 この年は先発、中継ぎ、抑えとフル回転し、45試合の登板で11勝7セーブ、防御率2.72の好成績をマーク。広沢克巳(ヤクルト)、木戸克彦(阪神)などのライバルを抑え、新人王のタイトルをカープにもたらした。3年目以降は主に中継ぎとしてコンスタントに活躍し、カープ投手王国を支えた。