◆プレッシャーに押しつぶされそうになっていました
— それでは優勝を意識したのはどのあたりですか?
「ホームの仙台戦(第25節)で直接対決に勝ったあたりからですね。そこで自分たちが首位に立って、次の名古屋戦で劇的な勝ち方をしたので『ひょっとしたらあるのかな? 』という思いを強くしました。結果的に仙台戦に勝利してから一度も首位を明け渡すことはなかったんですけど、自分たちが強いっていう感覚がそこまでないので、『あるぞ』とか『獲れるぞ』といった確信めいたものはなかったですね」
— 2007年の降格から今季の優勝までチーム状態が悪くなっていく様と、良くなっている様の全てを経験しています。
「苦しい時期には記者の方とお互いの意見をぶつけ合ったこともありました。『チームに愛情があるんだったら、もう少しチームが良くなるような記事を出して下さい』と寒空の中、外で1時間くらい話しましたね。決して批判をするなという意味ではないし、メディアの人にも伝えないといけないことはあると思いますけど、そこに愛情があるのかどうかは文章から選手も感じるので、『もっと違う伝え方があるんじゃないですか』ということは伝えました。ほんの数年前のことですけど、それくらい優勝というのは遠い存在だったということです(苦笑)」
—「特に優勝が決まる前の2週間くらいはプレッシャーが掛かっていた」と以前お話されていましたが、終盤戦ではチームに硬さが見られたことも事実です。
「札幌戦(第31節)が終わって残り3試合になって、ゴールが見えてきた頃からですかね。僕自身もそうだしクラブとしても20年間待ち望んでいたタイトルだったので、ネガティブなことが頭をよぎったこともあったし周りの期待が高まるにつれてプレッシャーは増していきました。今だから言えますけど『優勝してください』、『ホームで決めてください』と言われるたびに『いやそんなの分かってるよ。そんなに上手くいかないだろ』と内心では思っていました。C大阪戦の結果次第では優勝が決まる。それは自分もよく分かっている。一番良い結果が出て良かったですけど、あのときはプレッシャーに押しつぶされそうになっていました。確かに降格のときもプレッシャーはありましたけど、それとは全く別物です。今回は優勝できるかという良いプレッシャーなんですが、その分どうなっちゃうんだろうという恐怖心がありました」
— あの頃は取材陣に「そこまでプレッシャーは感じていない」と答えていましたが、実際は違ったのですね。
「特にC大阪戦のあった1週間は、極力余計なことをしたくなかったし、声を掛けられるのが憂鬱で人とあまり会いたくなかったですね。練習、取材が終わったら、なるべくスケジュールを入れないようにしていました。だからその週の英会話もキャンセルしましたから(苦笑)。さっきの話じゃないですけど、優勝に向けて戦っていく中で、アウォーズに向けてタキシードをつくったり、クラブW杯に向けてクラブが準備を進めるところを見ていると、頭では理解していても『優勝できなかったらどうするんだよ』とは思っていました」
— 最終的にどうやってそのプレッシャーに打ち勝ったのですか?
「今思えば浦和(第32節)に負けて良かったんだと思います。後半に決定機があって『あれが決まっていればな』って試合後はそればかり考えていたんです。優勝争いは最後までもつれると思っていたし、得失点差で優勝が決まることも十分考えられましたからね。ただ、あれでもうやることははっきりしたというか、勝ちにいかないと優勝できないと腹を括れたんです」