背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

同学年の丸佳浩から背番号63を受け継いだ田中広輔。2016年から背番号2を背負っている。

 今回取り上げる背番号『63』は他球団でも監督やコーチがつけるイメージが強く、カープも例外ではなかった。だが近年は野手の出世番号というイメージが定着し、注目を浴びるようになった。その歴史を追っていこう。

 コーチとしてこの番号を背負ったのは、後にスカウトとして多くの逸材を発掘した備前喜夫(1963年に1シーズンのみ)。後に阪急を3年連続日本一に導いた監督としても知られる上田利治(1964年)。同じく監督として名を馳せた関根潤三(1970年)。巨人に移籍したものの、引退後にカープで監督を務めた森永勝也(1971~1973年。1972年は一時、監督代行も)などだ。

 1982年以降は鈴衛佑規(1996~2006年)の11年間をはじめ捕手にあてがわれていたが、こうした傾向がガラリと変わったのが2007年に高校生ドラフト3巡目指名された丸佳浩の入団以降だ。丸は2008年シーズンから13年までの6シーズン、『63』でプレーしている。

 2010年に一軍初昇格を果たすと、翌年から一気に台頭。『63』の最終年となる2013年には、盗塁王とゴールデン・グラブ賞を獲得し、自身初の2ケタ本塁打(14本)を記録して主力メンバーに定着した。

 シーズン終了後には、緒方孝市前監督の現役引退以後は空き番となっていた『9』に変更。その後は2年連続MVPなど、不動の3番打者としてチームのリーグ3連覇に貢献。2018年のシーズン後、FA権を行使し巨人に移籍すると、巨人でも2年連続でリーグ優勝を果たすなど優勝請負人とも言える活躍を見せている。

◆丸佳浩以降は野手の出世番号に

 丸から『63』を受け継いだのが、2013年のドラフトで3位指名された田中広輔だ。社会人ナンバーワン野手の前評判通り、ルーキーイヤーから一軍にほぼ帯同した田中は、夏場以降は梵英心(現オリックス一軍打撃コーチ)に代わる形でショートに定着。公式戦110試合の出場で、9本塁打、10盗塁、34打点、打率.292を記録した。

 続いて141試合に出場した2015年シーズンを最後に、東出輝裕の引退により『2』を継承。翌シーズンからは不動の1番打者として2番・菊池涼介、3番・丸佳浩と共に“タナキクマル”と呼ばれる強力打線を形成。高い出塁率を誇るリードオフマンとして、リーグ3連覇の立役者の一人となった。

 田中の後を継ぎ、現在も『63』を背負っているのが、2015年ドラフト5位の西川龍馬だ。25年ぶりのリーグ優勝に沸いた2016年は、チーム打率が驚異の.272。打率、得点、安打、本塁打、盗塁、出塁率等でリーグトップという超強力打線を誇るカープ野手陣の中で、ルーキーイヤーながら62試合に出場した。以降も天才的なバットコントロールで、鈴木誠也らと共にカープ打線を牽引している。

 丸、田中、西川の活躍により、今や完全に“有望ルーキーが巣立つ背番号”となっている『63』。これからの西川の活躍と、次の継承者にも注目したい。

【背番号『63』を背負った主なカープ選手】
備前喜夫(コーチ/1963年)
上田利治(コーチ/1964年)
関根潤三(コーチ/1970年)
森永勝也(二軍監督、コーチ/1973年)
丸佳浩(外野手/2008年-2013年)
田中広輔(内野手/2014年-2015年)
西川龍馬(外野手/2016年-)