背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

捕手のイメージを決定づけたのが、昨年限りで現役を引退した石原慶幸氏だ。

 今回は前田智徳も背負った背番号『31』のお話……などと書き出すと「いや、前田の背番号と言えば『1』でしょ!」と総ツッコミ状態になりそうだが、前田は『1』になる前の2シーズンだけ確かに『31』をつけていて、しかもこの2年はキャリアのカギと言える時期なのである。

 1989年のドラフト4位でカープに入団した前田は背番号『51』でキャリアをスタートし、2年目の1991年には外野手として史上最年少でゴールデン・グラブ賞を受賞するなど早くも頭角を現した。背番号が『31』に変更されたのはその翌年、1992年シーズンからだった。

 その1992年には自身初の全試合出場を果たし、打率も初の3割超え(.308)。翌年もフル出場で打率をさらに伸ばして.317と好調を維持した。打撃だけでなく守備・走塁でも活躍し、両年ともゴールデン・グラブ賞、ベストナインを獲得している。次のフル出場は2005年まで待たねばならないのだから、この2年間がいかに好調だったかが分かるというものだ。

 この活躍を受けて、1994年シーズンからは背番号を『1』に変更。つまり前田にとって『31』は飛躍へのジャンプボードとも言うべき時代を象徴する背番号なのである。

 それ以前の背番号『31』といえば1955年から1969年までの15シーズンに加え、コーチとしても2年間(1972~1973年)背負った横溝桂などが名を連ねる。また意外なところでは、後に他球団で名監督として名を馳せる広岡達朗も、コーチ時代の2年間(1970~1971年)のみ『31』を背負っている。