◆ユースからのトップ昇格も見送りに

─荒木選手が主将になった年は、残念ながらユースチームの結果が出ませんでした。

 「本当に悔しかったですし、情けないという思いでした。駿君らの代が高円宮杯を連覇するなど歴史も伝統もあるチームです。それを汚すというか、広島ユースにふさわしくない結果が1年間続いてしまいました。すごく申し訳ないという気持ちでしたね。ただ、すごく悔しい思いをしたんですけど、今この場所にいられるのはユースのときの悔しい気持ちをバネにして大学の4年間を過ごしたからだと思うので。まだあの結果が良かったとは言えないですけど、上手くいかなかった1年間というのは確実に意味のあるものになっているのかなと思います」

─ただ主将としてユースを率いることで得たものも大きかったのでは?

 「もっと先頭に立つ者として凛としなければダメだなと思いました。自分の良さは人に気を使えたり気を配れるところだと思うんですけど、大事なところではドンと構えておかないといけないなと。怒るべきところは怒るとか、そういうことができないといけなかったんですけど、結果が出なかったのはそれができていなかったのも影響したのだと思います」

─ユースからのトップ昇格も見送りとなってしまいました。心が折れそうになったことはなかったですか?

 「チームの結果が出ていませんでしたし、自分自身の実力も劣っていると思っていました。悔しさはありましたけど『上がれない』と聞いたときは納得できる部分の方が多かったです」

─その後は関西大学に進学。大学時代も200人を優に超えるサッカー部で主将を務めていますね。

 「ユースでは上手くチームをまとめることができませんでした。大学でも主将をしようと思ったのは、自分が4年間でどれだけ成長したのかを確かめたかったからです。上手くいかなかった過去を良い経験に変えるために主将に立候補しました」

─大学時代に結果を残し、昨年7月に広島入団の内定が出ました。

 「素直にうれしかったですし、戻れるということにホッとしました。プロなら広島でという気持ちが一番にありましたので。ユースのときお世話になったのが広島ですし、プロというものを意識し始めたのも広島に来てからです。プロに行けるなら恩のある広島でプレーしたいと思っていました」(続く)