背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

1980年代黄金期に正捕手として活躍した達川光男氏。現在はプロ野球解説者として活躍中だ。

 1962年以降、3年数ヵ月の例外を除いて“捕手の番号”として認識されているカープの背番号『40』。そのイメージをつくったのは、間違いなく達川光男だろう。

 達川は広島商高で1973年に夏の甲子園優勝を果たし、東洋大を経て1977年にドラフト4位指名を受けて入団。1978年から背番号『40』をつけた。当初指摘されたバッティングの弱さを克服し、1983年から正捕手の座を獲得。翌1984年には初のリーグ優勝&日本一を経験し、ベストナインとダイヤモンドグラブも受賞した。

 投手の良さを引き出し、打者の裏をかく頭脳的リードで高い評価を得ただけでなく、「ささやき戦法」による打者や球審との駆け引き、「球が当たったフリをして死球アピール」でも知られるなどの特徴的なプレーや、豪快な人柄でも人気を得た達川。山本浩二や衣笠祥雄とはまた違った魅力を持つ“カープらしい選手”の一人だった。

 ここ一番での勝負強さも特徴の一つだった。前述の1984年日本シリーズでは打率3割をマーク。異例の第8戦にまで及んだ1986年の西武との日本シリーズでは、3勝1分から4連敗で逆転優勝を許したものの、好リードが評価されて敢闘賞を受賞している。

 1992年の引退まで15年間、1334試合に出場。1986年と1988年にもベストナイン&ゴールデン・グラブのダブル受賞を果たし、オールスターゲームにも7回出場した。引退に際してはその決意を誰にも明かさず、最終戦当日に公表。最後まで話題を振りまいた。1998年には二軍監督としてカープに復帰。翌1999年から2年間は一軍監督も務めた。