◆長期保持者の間には珍しい遍歴も

 さて、冒頭に「3年数ヵ月の例外」と書いた。その例外というのが、内野手の髙橋慶彦と、投手の入来智だ。髙橋は背番号『2』のイメージが強いが、ルーキーイヤーの1975年から3年間は『40』だった。いまだ破られていない33試合連続安打という大記録を打ち立て、MVPを獲得したのは背番号『2』になって2年目の1979年。その基礎をつくった時代の番号が『40』だった。

 もう一人の例外、残る「数ヵ月」の入来は1996年6月に吉本亮とのトレードで近鉄から移籍。しかし出番は少なく、同年オフには吉本との再トレードでお互い復帰しており、背番号もお互いの『40』と『41』を交換&復帰している。再び『40』をつけた吉本が翌1997年シーズン限りで自由契約となって阪神に移籍し、その後を継いだのが倉だった。達川と倉という長期間保持者2人の間に、珍しい変遷が行われていたという点も面白い。

【背番号『40』を背負った主なカープ選手】
髙橋慶彦(内野手/1975年-1977年)
達川光男(捕手/1978年-1992年)
倉義和(捕手/1998年-2016年)
磯村嘉孝(捕手/2017年-)

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