スポーツジャーナリストの二宮清純が、ホットなスポーツの話題やプロ野球レジェンドの歴史などを絡め、独特の切り口で今のカープを伝えていく「二宮清純の追球カープ」。広島アスリートマガジンアプリ内にて公開していたコラムをWEBサイト上でも公開スタート!

 1975年7月19日夜、愛媛の高校1年生だった私の身に、2つの大事件が起きた。ひとつは、さる3月26日、肺がんのため78歳で死去した沢村忠さんの壮絶極まるKO負けである。

 私たちの世代の男性で、沢村さんの必殺技「真空飛び膝蹴り」を真似しなかった者は、まずいない。いわば“国民的必殺技”だった。

 4月11日の中日戦で阪急からやってきた宮本幸信が審判に暴行を働き、退場処分を受けた。暴行の内容は“跳び蹴り”で、以来、宮本は“キックの宮さん”と呼ばれるようになった。

 あれがただの“跳び蹴り”ではなく“真空飛び膝蹴り”だったなら、騒ぎは、もっと大きくなっていたかもしれない。

 閑話休題。7月19日、不死身と信じて疑わなかった沢村さんがタイのチューチャイ・ルークパンチャマに右ストレート一発でキャンバスに沈められてしまったのだ。確か意識を失った沢村さんは、担架で担ぎ出されたと記憶している。私にとってはウルトラマンがゼットンに倒された時以来の衝撃だった。

 もうひとつは慶事だ。甲子園球場で行われたオールスターゲームで、全セの山本浩二と衣笠祥雄が2打席連発でアベックホームランを放ったのである。山本浩二によると、「赤ヘルが全国区になった記念すべき日」となった。その余勢を駆って、カープは球団史上初優勝へとひた走るのである。

 1975年7月19日、それは「キックの鬼」と呼ばれた男の「神話」が終焉し、「赤ヘル」と称される新興勢力の台頭が顕在化した日でもあった。沢村信者とカープファン以外には、どうでもいい日かもしれないが、私にとってはとても重要な日なのである。

(広島アスリートアプリにて2021年4月5日掲載)

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二宮清純(にのみや せいじゅん)
1960年、愛媛県生まれ。明治大学大学院博士前期課程修了。株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役。広島大学特別招聘教授。ちゅうごく5県プロスポーツネットワーク 統括マネージャー。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグなど国内外で幅広い取材活動を展開。『広島カープ 最強のベストナイン』(光文社新書)などプロ野球に関する著書多数。ウェブマガジン「SPORTS COMMUNICATIONS」も主宰する。