今回の箸休めネタは、カープのキャンプ地でもある『日南』。今季は新型コロナウイルス感染拡大の影響で通常通りの開催とはならなかったが、それでも無観客ながら二軍キャンプが同地で実施された。ここでは日南キャンプにスポットを当てつつ、カープの歴史も軽く振り返っていく。
(参考文献:『広島アスリートマガジン』2004年11月号)

長い歴史を誇るカープの日南キャンプ。今年はコロナ禍により無観客での実施となった。

<始まり>
 カープが初めてキャンプを実施したのが1961年。場所は広島県の呉二河球場だった。この時は自宅とキャンプ地が近いため、選手たちは食事を摂るため自宅へ戻ることも多かった。故にキャンプとは言っても、普段の練習とあまり雰囲気は変わらなかったという。

 そこで球団は1962年末の白石勝巳監督の就任を期に、県外キャンプの実施を決定した。新たなキャンプ地選びを任された当時のカープのマネージャーは、暖かい南九州を中心としてキャンプ地候補を検討。当初は鹿児島県や熊本県などが候補地として挙げられていたが、そこへ宮崎県の日南に球場ができるという話を耳にした。

 そこで担当のマネージャーが日南を視察し気象データなどを調べた結果、他の候補地よりも温暖で雨があまり降らないことが判明。これが決め手となり、日南でのキャンプが決定した。

<歓迎>
 カープの選手や監督らが初めて日南入りしたのは1963年1月25日。鹿児島の鴨池球場で自主トレをしていた選手たちと合流したカープナインは、花火やこいのぼりが街中を彩った日南で、地元からの熱い歓迎を受けた。

 日南ではプロ野球選手を初めて見る人も多く、地元市民の熱狂的な歓迎にカープの選手たちも驚いたという。今では多くのプロ野球やJリーグのチームが宮崎県内でキャンプを行っているが、当時は巨人とカープのみだった。カープは宮崎キャンプブームの先駆け的存在だったと言えるだろう。

<天福球場>
 カープが主に練習している天福球場は、カープが県外でのキャンプ地候補を探していた1962年に完成した。JR日南線の油津駅から歩いて徒歩5分の場所に位置している。

 メイングラウンドの両翼は99メートル、センターは122メートル。メイングラウンドのライトの奥にはピッチング練習場が設置され、レフトの奥には雨天時のための屋内練習場も完備されている。

<東光寺球場>
 春季キャンプで主に二軍選手が使用するのは東光寺球場。両翼92メートル、センター122メートルと天福球場よりやや小さめ。日南総合運動公園の中にある球場で施設も充実している。