「同じポジション、同じ名字でどちらが名前をどういう風につけるか話し合ってないので下交渉したい」  
石原貴規のカープ入団が決まった際、石原慶幸は上記のような茶目っ気のあるコメントで周囲を和ませた。貴規は天理大から、慶幸は東北福祉大からと共に大卒でのプロ入り。
共通項が多いこともあり、慶幸同様に貴規も早期からの活躍が期待されている。
ここではプロ2年目でブレイクした石原慶幸のルーキー時代を振り返る。
(広島アスリートマガジン 2003年10月号掲載)

ルーキーイヤーはわずか5試合の出場にとどまったが、2年目の2003年は116試合に出場。3年目は135試合でマスクを被り、西山秀二から正捕手の座を奪ってみせた。

石原選手が入団した02年のドラフトで、カープは石原選手と山本翔選手(東筑高)の二人の捕手を指名しました。とくに石原さんは即戦力と言われての入団です。
石原 「もちろん、期待に応えたいと思って入団したんですけど、そんな簡単にはいかなくて1年目は全然ダメでした…」

1年目は主にファームで活躍。一軍での出場機会は終盤の5試合にとどまりました。やはり、プロの壁は厚かったですか。
石原 「いや、特に…。なんていったらいいですかね、球のスピードやキレはもちろん違うんですけど、想像を超える世界ではなかったです。でも、初打席はガチガチで、自分でもはっきりと覚えていないくらい…それほど緊張していました」

高校3年の夏、県立岐阜商高で甲子園に出場。その時からプロのスカウトが注目していたと聞きます。プロはいつ頃から意識されていたのですか?
石原 「本当にもう、まさか自分が入れるとは思ってもいませんでした。プロを意識し始めたのは、ほんとドラフト直前になってからです」