◆当時のカープでは珍しいスカウトでの入団

 2年の空白を経て1956年から『50』をつけたのは、当時のカープでは珍しくスカウトされてこの年に入団した阿南潤一。ルーキーイヤーから一軍に定着し、1959年には半分の背番号『25』に変更。1964年に「阿南準郎」と改名した。1968年に近鉄に移籍して2年後に引退。1974年にはカープに復帰し、コーチを経て1986年に監督に就任すると、初年にいきなりリーグ優勝を果たしている。

 その1986年から『50』を背負ったルーキーが河田雄祐だ。現役時代はスーパーサブ的な存在でカープ、西武で活躍し、2002年シーズン限りで現役を引退。その後は西武、カープなどで長らくコーチを務めた。

 2016年にはカープの一軍外野守備・走塁コーチに就任し、カープの伝統である機動力野球を復活させた。その後、ヤクルトのコーチを経て、今季より再びカープに復帰。ヘッドコーチとして、再びその手腕を発揮することが期待されている。

 河田が1995年限りで西武に移籍し、チェコ、ペレスの外国人助っ人を経て2000年から、背番号『50』はドラフト3位入団の栗原健太のものとなった。早くから球界を代表する右の大砲候補として期待を受けつつ、最初の2年間は負傷もあって一軍入りはならず。3年目の2002年から徐々に頭角を現し、背番号を『5』に変更した2006年から本格的な活躍を見せ始めた。