まだ31試合を消化した段階ながら、首位の阪神からは7.5ゲーム差。3年ぶりの覇権奪還を目指すカープにとって、厳しい戦いが続いている。だが、過去には怒とうの追い上げで逆転優勝を飾るなど、意地と実力を見せつけたシーズンも存在する。ここでは数回にわたり、カープが底力を見せたシーズンを振り返る。

1975年、4番に座り初の3割で首位打者を獲得すると共に、初の30本塁打もマークした山本浩二氏。

 カープ反撃の歴史を語る上で、外せないのが球団創立26年目のリーグ初優勝だ。前年まで3年連続最下位、毎年監督が交代するというなか、カープはこの年の前年に打撃コーチとしてスタッフ入りしていたジョー・ルーツを日本球界初の外国人監督として起用。しかし開幕15戦目、審判の判定を不服として退場。そのまま帰国し退団してしまうという、異常事態に見舞われた。

 だが当時、サードコーチを務めていた古葉竹識を監督へ昇格させると、機動力野球を前面に打ち出すことでチームは上昇気流に乗った。オールスター・ゲームで山本浩二、衣笠祥雄の2打席連続アベックホームランで全国に“赤ヘル旋風”を巻き起こすと、そこから勢いに乗り後半戦、前年覇者の中日と激しい首位争いを繰り広げた。

 8月、前年最多勝の金城基泰が戦線に復帰するとクローザーに定着し、チーム全体の士気がさらに上がった。そして苦しい夏場を乗り越え、いよいよ勝負の9月に突入。カープが9月に入り13勝3敗4分とハイペースで勝ち星を積み重ねると、中日も意地を見せ同様のペースで勝ち続けるという熾烈なデッドヒートとなった。

 しかし、カープは10月10日のヤクルト戦に勝利し、球団史上初のマジック3を点灯。そして迎えた10月15日、後楽園球場で巨人を4対0で下し、悲願のリーグ初優勝を決めた。3年連続最下位、そして監督のシーズン途中交代を乗り越え、カープが全国に赤ヘル旋風を巻き起こすことに成功した。