カープの捕手として19年間活躍し、2016年からリーグ3連覇にも大きく貢献した石原慶幸氏。本稿では、石原氏初の著書『野球人生を変えた たった1つの勇気〜18.44mのその先に〜』の構成を担当したスポーツライター・キビタキビオ氏が、石原氏著書を元に、同氏独自の“コミュニケーション術”に迫っていく。

 第2回目の今回は、石原氏の野球人生において欠かせない、2人の偉大な先輩との秘話をお送りする。

入団直後から、黒田博樹氏、新井貴浩氏から大きく影響を受けた石原慶幸氏。

◆金本の移籍により縮まった新井との距離

 広島東洋カープ一筋19年。石原慶幸が歩んできた道のりは、カープが長い低迷期を脱してセ・リーグ3連覇の栄冠をつかむ過程とほぼリンクしている。

 石原の中で、特に若い頃からの成長を実感したのは、とりわけコミュニケーションのとり方にあった。

 石原にとって、黒田博樹と新井貴浩という偉大な先輩と出会えたことも幸運だった。タイプは違うが、熱い情熱をもって野球と接する2人の姿勢は、大いに手本となった。

 そもそも、石原がプロ入りした際、頼りになるはずだったのは、東北福祉大の大先輩である金本知憲だった。ところが、石原が1年目のシーズンを終えたばかりの2002年オフ、金本はフリーエージェント宣言をして、阪神に移籍してしまった。

 翌年、金本去りし後の1軍に定着した石原によく声をかけてくれて、食事にも連れて行ってくれたのが新井だった。後年になって石原も知ったが、金本は移籍の際、新井に「石原の面倒を見てやってくれ」と言い残していた。金本の移籍が石原と新井の距離を縮めた格好だ。

 新井はベンチにいるときも、場を和ますような会話で石原をよく巻き込んだ。

 当時の石原にとって、一軍のベンチは年上の人だらけ。同じ捕手の倉義和にしても、ポジションを争うライバルであり、4歳年上の先輩で恐れ多いという部分もあって、当初はまともに話をしたことがなかった。

 そんな状況を持ち前の明るさで変えてくれたのが新井だった。

【新井さんは倉さんの1学年下なのだが倉さんをいじっていた。その場に僕がいると、「おい、お前もちょっと言えよ」と、そそのかしてくる。そして僕がバカ正直にその通りに倉さんをいじると、そこは先輩なので倉さんからゲンコツが飛んできて、みんなが笑う。新井さんと僕で倉さんをいじるというのが定番だった。でも、そのおかげで倉さんと打ち解けた関係となり、後輩として仲良くしてもらうようになった。】

 2006年にマーティー・ブラウン監督就任した当初、石原が懐疑心を抱いて意思疎通が図れず悩んでいたところ、背中を押してくれたのも新井だった。 

 ときには、とぼけた言動をすることもある新井にツッコミを入れながらも、石原は「人類みな兄弟」とばかりに誰とでも分け隔てなく距離を縮めていけるコミュニケーション力を見習うようになっていった。