最初に何故そのような厳しい練習から入っていったかというと、動きが鈍っているという面だけではなく、浩二さんが監督としてカープに戻ってきた当時、チームは良い意味でも悪い意味でも『優勝慣れ』している状況でした。それだけに、浩二さんは厳しい練習を行うことで、『お前たちはもっとできる、まだできる。もう一度優勝を目指すために何をするべきか?』ということを秋のキャンプで示しました。

 75年にルーツ監督が就任した時、当時3年連続最下位であったチームに対し『君たちはやればできる。こうすれば優勝できるんだ』という意識改革を行いましたが、浩二さんはそれを身を以て体感しているだけに、『何かを変えたい』という思いが非常に強かったのだと思います。

 また浩二さんはコーチ陣に対しても厳しさがありました。個人的な思い出は優勝した91年です。監督就任3年目、私は一軍守備走塁コーチに就任しました。しかし、春のキャンプで「お前二軍に行ってこい」といきなり配置転換を指示されました。

 当時、私にもまったりとしたところがあったのかもしれません。その後、オールスター前にサードコーチャーを担当していた高代(延博・現阪神コーチ)と再び配置転換されました。シーズン中にコーチを配置転換するというのは、選手たちにとってもインパクトを与えたと思います。

 さらに、あの年は津田恒実が病気で離脱したこともあり、チームに『津田のためにも優勝しよう』と一丸になっていました。監督の厳しさ、そしてさまざまな要素が絡み合って、選手たちは優勝という同じ方向を向いていました。結果的に優勝することができましたが、選手たちも私たちコーチ陣も監督の厳しさに耐え、それが実を結んだ上での優勝だったので、浩二さんを胴上げできて本当にうれしかったですね。