指導につながる現役時代の苦悩

 全体練習前、彼はバットを手に打撃ゲージに向った。投げ込まれる球に、簡単にはタイミングが合わない。現役を引退して16年目のシーズンである。しかも、両膝に故障歴を抱えている。気分転換のつもりだったろうが、生来の探求心は隠せるものではない。バントの構えからバスターでタイミングをとっていき、徐々に球を捉え始める。手にするのは1キロ以上の重いバットだが、守備コーチ時代に重いノックバットを扱ってきた経験がある。器用にバットのヘッドを走らせ、鋭い打球を放っていく。

 そして、ついに打球はスタンドイン。少年のような笑顔でバットを置き、彼はいつもの仕事に戻っていった。朝山東洋はいわゆる天才打者だった。膝の故障がなければ、現役生活が10年で終わるような選手ではなかった。しかし、10年で引退となったからこそ、43歳にして15年もコーチのキャリアを積めたという面がある。

 「あのケガがあったからこそ今があります。たくさん野球について考えることができました。引退が早かっただけに、多くの監督やコーチと仕事ができ、いろんなアプローチを学ぶことができました」

 朝山の思考は全てが前向きである。だからこそ、故障を含めたあらゆる苦境から、バッティングへのアプローチを学び取ることができたのだろう。入団4年目には右膝を負傷した。そのダメージはなかなかゼロにはならない。ならばと、彼は打撃面の工夫を重ねるようになった。

 「右膝の負担が少ないフォームを考えるようになりました。本当は右足に体重を乗せたいところですが、それができないならば体の左側の壁を軸にしようと考えました。新しい発見でした」

 なかなか力強い打球が打てない。さらに、低めのボールに苦労した。下半身で粘ることができないため、低めの球を強く捉えられないのである。「ならば、高めの球を一発で仕留めるしかないです」。まさに、一振りへの集中力で補っていこうという考えだった。6年目の2000年には自己最多の58試合に出場し5本塁打をマーク、朝山が現役10年間で最も輝いたシーズンであった。

 ただ、まだ苦難は待っていた。今度は左膝を故障したのである。「右膝も左膝も使うことができず、痛み止めを飲み続ける毎日でした。そのとき、本当に思いました。体の前の壁がいかに大事かと」。練習も満足にできなかった。若き日のような猛練習はできない。「ティー打撃も50球くらいしかできませんでしたが、マックスに集中してやるようにしました。練習量は少なくなっても、その中でどれだけやれるか考えました」。