今季カープは新たに佐々岡真司新監督が就任し、V奪還を目指すシーズンに臨む。そこで新監督就任に際して、過去の『広島アスリートマガジン』特集から歴代監督の思考を振り返っていく。今回は2018年4月号で特集した『OBが語るカープ歴代監督』より、三村敏之監督編をお送りする。

 山本浩二監督の後を継ぎ、94年に一軍監督に就任。現役時代に“いぶし銀”と呼ばれた三村敏之監督は、トータルベースボールを提唱し、古葉野球で培った伝統のカープ野球を継承した。監督退任と時を同じくして現役を引退した大野豊から見た三村監督とは──。

大野豊(おおのゆたか)/1955年8月30日生、島根県出身。76年ドラフト外でカープに入団。現役時は先発、中継ぎ、抑えとフル回転。史上最年長の42歳で開幕投手を務めるなど、長年にわたりカープの主力として活躍した。

 三村さんとは現役時代共にプレーをさせていただきましたが、世間からは『いぶし銀』と呼ばれ、非常に優れた野球センスの持ち主である選手でした。当時は山本浩二さんや衣笠祥雄さん、髙橋慶彦など個性派選手揃いのチームにおいて、脇役として確実につなぎ役に徹することができる方でした。

 野手と投手といえば、あまり接点がないものですが、選手時代は個人的にオフになればよくゴルフに連れていってもらうなど、三村さんにはとても可愛がっていただきましたし、私としては良き兄貴分という存在の方でした。普段は物静かで温厚で、非常に物言いも優しい方でした。またとてもこだわりが強い人でもありました。そして勉強家な一面もあり、戦国時代など歴史的な書物を好んで読書されていました。

 そんな三村さんは83年の引退直後からコーチとしてチームを支えられていましたが、94年に一軍監督に就任されました。そして就任直後、三村さんは当時ストッパーを務めていた私と当時先発だった佐々岡真司を呼び、『大野と佐々岡の役割を逆にしてくれないか』と提案されました。ですが、私は山本浩二監督時代、先発としての限界を感じてストッパーに回ったという経緯がありましたし、佐々岡も先発として投げることを志願していたこともあって、その構想はお断りし、納得していただきました。

 しかしながら、翌95年にも三村さんは私と佐々岡の役割を逆にする構想を再度提案されてきました。そこまで言われるなら、という事でオールスター前に私は先発に回ることになりました。ブルペンで先発としての調整を行う度に毎回私の様子を必ず見に来てくれたのは、今でも印象に残っています。