2010年から5年間カープを率い、25年ぶりの優勝への礎を築いた野村謙二郎元監督。この特集では監督を退任した直後に出版された野村氏初の著書『変わるしかなかった』を順次掲載し、その苦闘の日々を改めて振り返る。
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「準備はできているだろうな?」

 それはいきなりだった。あまりにも突然だった。電話の主は広島東洋カープ・松田元オーナーである。オーナーは僕の携帯電話に直接電話をかけて、単刀直入に切り出してこられた。僕は面食らった。何の前触れもなく電話がかかってきて、「準備はできているだろうな?」と訊かれることなんてめったに起こることではない。

 しかし僕は頭の片隅で「これがカープというチームの特徴かもしれないな……」と考えていた。組織の人間関係がフランクで垣根というものがあまりなく、トップが直接電話をかけてくるようなアットホームなチームなのだ。

 さすがにそのときは「わかりました」と即答することはできず、しばらく時間をいただくことにしたが、電話を切るときには「こんなふうに声をかけられて始まるものか……」と突然訪れた状況を冷静に眺めている自分がいた。ということは、もう心の中ではオーナーからのオファーを受諾する決意は固まっていたのかもしれない。カープの監督をやってくれないか?——オーナーが僕に電話をしてこられた要件は、そういうことである。広島東洋カープの第18代監督、その仕事を僕にやってほしいという依頼だった。

 オーナーから電話をいただいたのは2009年9月の終わり頃だった。僕の監督就任が発表されたのが10月13日、マツダスタジアムで記者会見が行われたのが翌日の14日なので、その約半月前ということになる。

 2006年から2009年まで、4年間にわたってマーティ(ブラウン)がカープの指揮を執っていた。「勝率5割以上で続投」ということは報道を見て知っていた。しかし、2009年のカープは勝率5割を切り、セ・リーグ5位でシーズンを終えた。そこから僕の周辺も騒がしくなっていく。