突然の電話で監督オファー

 あちこちで訊かれてきた質問だが、監督就任の前提として「将来的にカープの監督をやってほしい」という言葉だったり口約束のようなものは、僕と球団のあいだでは一切なかった。テレビや新聞などで「ゆくゆくは野村で——」と書かれていることも知っていたが、そういう話は本当になかったし、現役時代は家族を守りつつ家のローンを払い終えることに懸命で、先のことなんて考えられる余裕はなかった。

 選手を引退してからも、そういう噂はひっきりなしに僕の耳に飛び込んできた。解説者の仲間、メディア、そして街の人たちまで、みんな口を揃えて、「もう決まってるんでしょ?」と声をかけてくる。「そんなことないですよ。球団からは何も言われてないんです」。正直に答えても誰も僕の話を信じてくれない。でも本当に、僕は何も言われてなかったのだ。そして、現役引退から4年後、オーナーからいただいた突然の電話で僕は初めてカープの監督就任のオファーを受けることになった。

 現役を引退してからの4年間、僕はテレビや新聞で野球解説の仕事をしながら、毎年アメリカに渡っていた。引退セレモニーのスピーチで、「野球は楽しいぞ!」と話したが、引退した後も野球を離れることは頭になかった。具体的なキャリアの組み立てについては何もアイデアはなかったが、とりあえずもう一度野球を勉強したいという気持ちが強くあった。

 時間も空いたしアメリカに行こう。勉強しておいて損はないだろう——そんな気持ちが胸の中を占めていた。かつてカープに(ルイス)メディーナという選手がいた。ぼくが1995年にゴールデン・グラブ賞を獲ったときにファーストを守っていた選手で、2006年当時はカンザスシティ・ロイヤルズでGM補佐の仕事をやっていた。

 そのメディーナに、「野球を勉強したいので、ロイヤルズで受け入れてくれないか?」と電話すると、二つ返事でOKと答えが返ってきた。そこから4年間、僕は毎年スプリングキャンプの時期になるとアメリカに渡り、彼らの練習に参加した。ユニホームを着てバッティングピッチャーを務めたり、選手にノックをしたり、あとは球拾い。朝早くからマイナーの選手たちの指導に付き合い、夕食時には幾時間も話し込んでコミュニケーションを深めたりした。