今季苦しい戦いを強いられているカープ。10月7日時点で、チーム打率こそリーグトップの.262を記録しているものの、盗塁数はリーグ4位の58個ととなっており、伝統の機動力野球は鳴りを潜めている。ここでは改めて、カープにまつわる『機動力のうんちく』を振り返っていく。

カープの背番号2といえば、今も髙橋慶彦氏を思い浮かべる人も少なくない。

 1980年代のカープ黄金期の『1番・ショート』として3度の盗塁王(1979年、1980年、1985年)を獲得するなど、プロ野球歴代5位となる通算477盗塁を決めている髙橋慶彦。巨人との優勝争いとなった1983年、髙橋は巨人・松本匡史と現在では考えられないようなハイレベルな盗塁王争いを演じた。

 1982年に61個で盗塁王を獲得していた松本は、1983年シーズンもシーズン序盤から快足で塁上を賑わせた。ファンからは青色の手袋、ビジターユニホームの水色も相まって“青い稲妻”のニックネームで親しまれた。

 この年、髙橋も負けじと盗塁を積み重ねたが、最終的には松本がセ・リーグのシーズン記録となる76個で盗塁王を獲得(パ・リーグのシーズン記録は、阪急・福本豊の106個)。70個もの盗塁を決めた髙橋だったが、惜しくも2位に甘んじる結果となった。

 この年に髙橋が記録した盗塁死28は、高木豊(大洋)と並んで現在も破られぬセ・リーグ記録だ。ただ果敢に先の塁を狙った上での結果だけに、決して恥ずかしい数字ではない。なお、髙橋が盗塁王を獲得した1985年の73個は、シーズンでは歴代9位の記録である。