カープ入団発表会見に臨む、当時18歳の緒方孝市氏(前列右端)

カープの練習量が当たり前だった

 体も心も常に張り詰めた状態で猛練習に明け暮れる日々。ケガに泣かされる時期もあり約9年の歳月を要したが、三村敏之監督時代の1995年に外野のポジションを奪った。その後緒方氏は主力選手として活躍していくが、中堅、ベテランとなっても練習量の多さは群を抜いていた。

「カープと言えば世間では猛練習というイメージがあると思いますが、自分は入団当時からカープの練習しか体験をしたことがありません。ですから練習量という意味でいうと、選手時代、指導者となってからもカープの練習量というのが自分の中では当たり前の量でした。外からは猛練習と言われることも多いですが、カープに入ったときからそういう環境で鍛え、育てられてきた自分なので、それが当たり前という感覚しかありません。若手であろうが、中堅、ベテランも全く同じ練習量でした」

 緒方氏がカープの主力、球界を代表する外野手へと駆け上がっていった時期、プロ野球界はFA制度、ドラフト逆指名制度など、カープにとっては逆風の時を迎えていた。プロ野球界が変わっていく中でも、カープで戦い続けてきた緒方氏だからこそ感じることがある。

「『カープは自前で育てながら勝つ』。こういうチームだと思っています」

 FAで主力選手が流出しようとも、有力な新人選手が獲得できなくとも、猛練習で若い選手を育てあげる。当然どのチームにも言えることかもしれないが、特に逆風が強かったカープにとっては特にこの要素が大事だということだ。そんなカープ野球の伝統こそが、後のリーグ3連覇につながったとも言えるだろう。1991年以来、チームは25年間優勝から遠ざかった。しかし、時代の変化に対応しながら、カープは自前で選手を育て続けた。そして自身が指揮官として優勝を果たした2016年、当時の主力メンバーはカープが自前で発掘し、猛練習で鍛えた末にレギュラーポジションを獲得した選手が大半だった。

 自前で選手を育てること以外でも、他球団との違いを感じることがある。それはカープ球団と広島という土地の強い結びつきだという。

「カープは他球団と全く質が違うということです。原爆の焼け野原からチームが誕生し、広島の復興という部分からスタートした歴史があります。そういった歴史の中で生まれた球団であり、復興のシンボルとして誕生した球団であるカープはただの球団ではなく、広島の人々にとっては生活の一部なんです」

 18歳でカープに入団してから33年。人生の大半をカープの選手、指導者として過ごしてきた。生まれ故郷で過ごした時間よりも、広島で過ごした時間の方が圧倒的に長い。生きていく上で大事なさまざまなことも、カープ球団、そして広島から学んできた。だからこそ、広島の人にとってどれだけカープが大事な存在なのか。緒方氏はそれを理解している。