1987年にカープ入団以来、23年間選手として活躍し、その後はコーチ、監督としてチームを支えてきた緒方孝市氏。カープ一筋33年、赤いユニホームを着続けた男はカープ野球が染み付いている。袖を通し続けていたユニホームに別れを告げてから半年余り。誰よりもカープに愛着を持つ男が考えるカープ野球、そしてカープへの思いに迫る。

監督退任から約半年。緒方孝市氏は今も一人のOBとしてカープのことを気にかけている。

 1986年のドラフト会議が、その後の人生を決定づけた。緒方氏の出身地は佐賀県。当時、九州といえば200勝投手の北別府学、2000安打の前田智徳らを発掘した敏腕スカウト・故・村上孝雄元スカウト部長(旧姓・宮川)の担当エリアだった。村上スカウトに見いだされた緒方氏は、カープから3位指名を受け入団。当時から将来を嘱望される存在だった。だがプロの世界は当然、甘くはない。俊足を買われ高卒2年目に一軍昇格を果たしたものの、なかなか一軍定着を果たすことはできなかった。

「厳しい練習で育てられてきましたが、高卒ですぐに一軍に上がれるような甘い世界ではありません。最初のプロ2年間は力もない状況でしたので大半を二軍で過ごしていました。1989年に山本浩二さんが監督に就任された時、ヘッドコーチに大下剛史さん、打撃コーチに水谷実雄さんなどコーチ陣も一新されました。チームが新しくスタートするという時期だったんですが、『とにかく厳しくてきつかった』そういうイメージが強いですね。僕が入団した頃の主力選手の先輩方の年齢も上がり、チーム全体がそういう時期に入っていっていたので、チームのことを考えれば次の世代を担う選手を育てようという方針だったのだと思います」

 山本浩二氏が監督に就任した当時のチームは、80年代に活躍してきた主力選手の高齢化もあり、変化を求められる時期に差し掛かっていた。当時プロ3年目であった緒方氏は次代を担う若手野手として、野村謙二郎、江藤智、前田智徳、金本知憲らと共にカープの伝統とも言える猛練習で鍛え上げられていった。