“あのシーズンの今日のカープ”はどんな出来事があったのか?を振り返る本企画。今回は今から35年前、1986年10月12日。“カープが5度目のリーグ優勝を飾った日”を改めて振り返っていく。

1986年、赤ヘル打線不動の「1番・ショート」として戦った高橋慶彦氏(2018年撮影)

 1985年限りで11年間カープを率いた古葉竹識監督が勇退し、このシーズンは阿南準郎が新監督として臨んだ。この年のカープは外国人選手が在籍せず、純国産チームとして戦った。

 打線は現役最終年となるミスター赤ヘル・山本浩二、鉄人・衣笠祥雄を中心に、高橋慶彦、山崎隆造、達川光男、長嶋清幸、小早川毅彦らが脇を固めた。一方の投手陣は、最多勝などでMVPに輝いたエースの北別府学を筆頭に、川口和久、大野豊らが先発ローテを固めた。さらに故障から復活した津田恒実がストッパーとして大車輪の活躍を見せた。

 この年のカープは伝統の機動力野球を展開しながら、強力投手陣が1点を守り抜くスタイルで勝利を重ねていった。8月には一時巨人に5.5ゲーム差をつけられながらも、野球を知り尽くしたメンバーは粘りの野球で巨人に食らいついていく。

 最終的に巨人との熾烈なマッチレースとなり、7連勝でマジック1とする。そして迎えた129試合目(当時はシーズン130試合)となる10月12日、神宮球場でのヤクルト戦ではエース北別府が先発し、“ミラクル男”長嶋の満塁弾が飛び出すなど序盤から試合を優位に進めていく。最終回は大量リードながらも津田恒実が3人で締め、8連勝で逆転優勝を決めた。

 優勝を決めた時点でのゲーム差は0.0。巨人が75勝48敗7分、勝率.610に対し、カープは73勝46敗11分、勝率.613。わずかな勝率差が上回っての優勝だった。チームは3割打者はおらず、30本塁打以上もなし。しかし、チーム防御率2.89の投手陣が支えたシーズンだった。