プロ野球のレギュラーシーズンも佳境を迎え、優勝争いと共に個人タイトル争いも過熱してきた。セ・リーグの本塁打王争いに注目すると、10月17日時点で村上宗隆(ヤクルト)と岡本和真(巨人)が39本塁打でトップ。そして、ここにきて猛追するのがカープの鈴木誠也だ。

 9月に6試合連続本塁打を放つなど、月間13本塁打を記録すると、10月に入っても好調をキープ。10月14日から3試合連続本塁打を放ち、17日の阪神戦では2本のアーチを放ち、村上、岡本に1本差とする38号とした。鈴木は現在、リーグトップの打率.325をマークしており、打撃部門2冠も現実味を帯びてきた。

 鈴木が本塁打王を獲得となれば、カープでは2014年のエルドレッド、日本人打者では2005年の新井貴浩以来となる。ここでは、過去カープで本塁打王を獲得した打者を改めて振り返っていく。

球団最多となる4度の本塁打王を獲得した山本浩二氏(写真は2018年)

◆「球団最多本塁打数を誇るミスター赤ヘル」山本浩二 1978年(44本)、1980年(44本)、1981年(43本)、1983年(36本)
 カープ球団史上初の本塁打王に輝いたのが、通算536本塁打を記録している「ミスター赤ヘル」山本浩二。1977年に44本塁打を記録すると、翌1978年にも44本塁打を放ち初の本塁打王を獲得。カープ黄金期と呼ばれた時代、不動の4番として君臨。1980年、1981年、1983年にも本塁打王に輝いた。1977年から5年連続40本塁打以上をマークしているが、30歳を超えてから急激に本塁打数が増えており、大器晩成型の打者と言える。

◆「三振か?ホームランか?」ランス 1987年(39本)
 前年に山本浩二が引退し、その穴埋めを期待されて入団したのがランス(リック・ランセロッティ)。強引に引っ張るプルヒッターで、豪快なスイングから本塁打を連発。6試合連続本塁打もマークした。しかし、好不調の波が激しくリーグ最多三振(114個)を喫するなど「三振か?ホームランか?」という打者だった。結果的に規定打席到達者の中で最低打率(.218)ながらも、39本塁打でタイトルを獲得した。

◆「天性のホームランアーチスト」江藤智 1993年(34本)、1995年(39本)
 1988年に捕手としてカープ入団。その後内野手に転向すると、1991年に11本塁打を放ち頭角を現す。1993年にサードのレギュラーを奪うと4番に定着し、34本塁打を放ち初の本塁打王に輝く。1995年にも安定した打撃を展開し、39本塁打で二度目のキングに輝き、打点王も同時に獲得。1990年代の広島打線を主軸として牽引し、2000年に巨人にFA移籍した。

◆「空に向かって打つ!」新井貴浩 2005年(43本)
 1998年ドラフト6位でカープ入団。アマ時代は無名の存在も、1年目から一軍で本塁打を放つなど年々存在感を上げていく。4番に抜擢された2003年から2年間不振に陥るも、打撃フォームを改造した2005年に復活。6試合連続本塁打を放つなど、最後まで本塁打王争いを演じ、山本浩二のシーズン本塁打記録にあと1本に迫る43本で本塁打王に輝いた。

◆「ファンに愛された“カントリー”」エルドレッド 2014年(37本)
 2012年シーズン途中に長打力不足に悩まされていたカープに入団。65試合で11本塁打を記録した。翌2013年は期待されながらも故障に泣いたが、2014年に打棒が爆発した。開幕から本塁打を連発し、前半戦のみで29本塁打をマーク。後半戦に調子を落として失速したが、最終的に37本塁打でタイトル獲得となった。