2010年から5年間カープを率い、25年ぶりの優勝への礎を築いた野村謙二郎元監督。この特集では監督を退任した直後に出版された野村氏初の著書『変わるしかなかった』を順次掲載し、その苦闘の日々を改めて振り返る。
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 連敗が続いたとき、いつも指摘されたのが「チームにリーダーがいない」ということだった。ピンチのときに精神的な支柱になる選手がいない。大事なときに活を入れられる選手がいない。だから重要な試合では常に競り負け、一度負け始めると歯止めが効かなくなる。それは実際、僕が痛感していたことでもあった。

 だから僕は監督に就任したとき、カープにリーダーを育てたいと思っていた。だが監督という役職と同様、僕はリーダーに関しても「やりたい」と手を挙げてなるものではないという持論を持っている。リーダーは立候補してなるものでもなく、指名されてなるものでもなく、自然と周りに認めさせるもの―そうでなければ真のリーダーとは言えないのではないかと思うのだ。

 そうなるとリーダーを“育てる”という概念自体が怪しくなってくる。リーダーとは育ててつくるものなのか? 育てられたリーダーが果たしてチームをまとめあげていけるものなのか……? それにリーダーというのは実績がつくり出すものという側面もある。確固たる成績を残すことでチーム内で存在感を増し、次第に背中で引っ張るようになるという在り方だ。

 Bクラスが続いた時代のカープが不幸だったのは、リーダーの素質を持った選手、実際にリーダーを務めていた選手がことごとくFAでチームを離れてしまったことに尽きる。金本(知憲)、クロ(黒田博樹)、新井(貴浩)といった選手たちはみなチームを去ってしまった。彼らの流出は戦力ダウンというよりも、リーダーの喪失という意味でチームにとって大きな痛手だった。

 彼らが抜けた後の戦力で、この時期リーダー候補と目されていたのが、梵(英心)、(栗原)健太、東出(輝裕)といった選手たちだった。リーダーになってくれれば良かったが、当時の彼らは自分のことで精一杯だった。そして、もっとも痛恨だったのは彼らがケガに見舞われ、常時試合に出ることができなかったことだ。彼らはさまざまな事情によりリーダーになりきれないまま、時間だけが流れていった。