2022年の幕が上がった。昨年はカープ、サンフレッチェ共に、思うような結果を残せなかったが、若手が台頭するなど、未来への希望を抱かせてくれる戦いを見せてくれた。また、東京五輪が開催されるなど、スポーツがおおいに盛り上がった一年になったと言えるだろう。

 広島アスリートマガジンWEBでは、これまでカープやサンフレッチェをはじめ、広島のスポーツの魅力を伝えてきた。そこで、昨年特に反響の多かった記事を振り返り、2022年のスタートを切る。

 ここでは、時代を彩ったカープ選手の足跡を背番号と共に振り返る。今回は、守護神のナンバーとしても印象深い背番号「21」を取り上げる。(2021年5月19日掲載)

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カープでは永川勝浩(165)、大野豊(138)、佐々岡真司(106)に続いて通算100セーブを達成している中﨑翔太。

◆今に至るまでずっと投手の番号

 今回のテーマである背番号『21』は、1954年から1962年までの9年間、内野手の米山光男(1955年、1956年の2年間のみ登録名は「米山祐昭」)が着けた以外は、今に至るまでずっと投手の番号である。

 前述の米山の後、1963年に『13』から変更され『21』を背負ったのは龍憲一。東映からカープに移籍すると、肩の仕上がりが早く連投が効くという理由から、球団初のストッパーに任命された。ワンポイントもロングリリーフもこなすタフさも活かし、1965年には64試合に登板し18勝。うち17勝が救援勝利で、これは当時の球団記録となった。

 龍が1970年限りで引退すると、『21』はドラフト1位入団の佐伯和司に引き継がれた。広陵高時代には2度の甲子園出場を経験し、速球と変化球を駆使して次々と三振を奪う一方、プロ顔負けのビッグマウスでも評判となった個性派だ。カープ入団後は初年から一軍で4勝を挙げ、3年目の1973年には新たな武器・フォークボールで頭角を現し、19勝を挙げてエースとなった。

 翌年は故障のため不調に終わるも、1975年はさらにスライダーも修得してリーグ最多の3完封を含む15勝を挙げ、チーム初優勝に貢献した。1976年限りで移籍した日本ハムでも先発の一角を占め、1981年には広島に復帰して再び『21』を背負うも、白星なく翌1982年限りで現役を引退した。その後は打撃投手、スカウトを経て2001年までコーチを務めた。

◆赤いハンカチ王子が球団記録を達成

 2005年には、小林幹英が現役ラストイヤーを『21』とともに過ごした。小林は背番号『29』時代にストッパーとして名を馳せたが、故障が多くコンスタントな活動は叶わなかった。

 その後、この番号で唯一の助っ人外国人であるダグラスを経て、2008年には齊藤悠葵が『60』から変更。カープファンにとっては、『さいとうゆうき』といえば日本ハムの斎藤佑樹ではなく、この齊藤悠葵を思い浮かべる人も多いはずだ。

 入団初年の2006年に一軍昇格を果たし、球団初の高卒ルーキーによる初登板、初先発、初勝利を達成。端正なルックスと名前から“赤いハンカチ王子”の異名を取った。2年目は未勝利に終わったが、4年目は自身初の開幕一軍入り。シーズン通して先発ローテーションを守り抜いた。

 しかし、その後は思うような成績を残せず、2013年に背番号を『36』に変更した後、2014年シーズン限りで現役を引退。余談だが2010年には赤松真人と天谷宗一郎が、ホームラン性の当たりをスーパーキャッチ。そのいずれもが齊藤の投球時だった。

 齊藤の後を継いだのは、2007年の大学生・社会人ドラフトでカープから1巡目指名を受け入団した篠田純平。入団時はかつて外木場義郎、津田恒実、澤﨑俊和らが背負った背番号『14』を継承したが、キャリアハイが6勝と殻を破るまでには至らず、2013年オフに背番号をドラフト1位右腕の大瀬良大地に譲り、自らは背番号『21』に。しかし、その後も思うような成績を残せず、2015年限りで現役を引退した。

◆再びクローザーの背中に継承

 2016年シーズンから『21』を背負っているのが、中﨑翔太だ。2011年の入団当初は『56』を与えられ先発を務めていたが、3年目にセットアッパーを経験。2015年は開幕からセットアッパー要員として一軍入りを果たすだけではなく、ヒースや一岡竜司の不調もあり、開幕直後からクローザーに抜擢された。

 この年は69試合に登板し29セーブ、防御率2.34をマークし、2010年の横山竜士以来となる球団日本人投手による二桁セーブ、2009年の永川勝浩以来となる球団日本人投手の20セーブ超えとなった。

『21』に変更した2016年にはさらに安定感を増し、60回の登板で防御率1.37を記録。25年ぶりの胴上げ投手にもなった。以降も絶対的守護神として君臨し、リーグ3連覇中は3年連続で胴上げ投手に。しかし2019年からは状態を大幅に崩し、クローザーの座をフランスアや栗林良吏らに譲る形となっている。

 球団初のストッパーである龍が着けた背番号『21』を背負う中﨑は、2021年までに通算115セーブを記録している。その歴史にさらなるページを加える中﨑の早期復調に期待が集まっている。

【背番号『21』を背負った主なカープ選手】
龍憲一(投手/1963年-1970年)
佐伯和司(投手/1971年-1976年、1981年-1982年)
小林幹英(投手/2005年)
齊藤悠葵(投手/2008-2013年)
篠田純平(投手/2014年-2015年)
中﨑翔太(投手/2016年-)
※初めて背番号を付けたシーズンのポジションを表記。