広島アスリートマガジンWEBでは、これまでカープやサンフレッチェをはじめ、広島のスポーツの魅力を伝えてきた。ここでは、2021編集部セレクションとして、昨年特に反響の多かった記事を振り返る。

 今回は、時代を彩ったカープ選手の足跡を背番号と共に振り返る企画。今や捕手の代名詞ともなりつつある、背番号「27」を取り上げる。(2021年6月19日掲載記事を一部編集)

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3連覇を経験し、選手会長としてもカープを牽引してきた會澤翼。

 背番号「27」の歴史には3年のみブランクがある。1997年から1999年の3年間だ。1950年の球団スタートからそのブランクまで、「27」の使用者は投手・捕手・外野手・内野手が入り混じっていたが、ブランク後、2000年以降は「捕手の番号」となっている。

 まずはブランク以前から。実は山本浩二が永久欠番となる「8」に移行する前、1969年の入団から2年間だけ、この「27」を着けている(当時の登録名は「山本浩司」)。1969年は120試合に出場して打率.240の12本塁打、翌1970年は128試合に出場して打率.243で22本塁打と、早くもフル稼働。その後の活躍と功績については「8」の項で詳述している。

 その後を受けて1971年、ドラフト5位入団で「27」を着けたのは投手・金城基泰だ。1974年には最多勝(20勝)、最多奪三振(207)の二冠を獲得する活躍を見せたが、同年のオフに交通事故に巻き込まれる不運。翌年8月に復帰して好投を見せるも、1976年限りで南海に移籍。新天地では1979年、1980年と2年連続で最優秀救援投手に輝いている。