球団創立30年目となる1979年、カープが初の日本一を勝ち取った。序盤こそ苦しい戦いを強いられたものの、夏場を前にして不調に陥っていた打撃陣が復調。尻上がりにチーム成績も向上し、8月にはリーグ初優勝を果たした1975年以来4年ぶりに首位に浮上した。ここではこの年の打撃陣の特徴、ならびに球団初の日本一を成し遂げた主力野手3選手のエピソードを紹介する。

 1979年の野手陣で突出した成績を残したのが髙橋慶彦だ。入団3年目でスイッチヒッターに挑み、前年にレギュラーに定着。プロ5年目となる1979年には33試合連続安打の日本記録を打ち立てるなど、シーズン通してチームを牽引した。55個という突出した数字で盗塁王にも輝き、持ち味の足でも大いにアピールした。

 中軸のジム・ライトル、山本浩二、水谷実雄、エイドリアン・ギャレットもクリーンアップとしての働きを全うした。中でも4番の山本は3年連続40本塁打超えを果たし、初の打点王も獲得。打率3割を超えた打者は33試合連続安打のプロ野球記録を作った髙橋だけで、チーム打率はリーグ5位の.257と低迷したが、要所で各打者が持ち味を発揮した。なおチーム全体の盗塁数は143。2位に71差をつけるなど、足で他チームを圧倒した。

◆3年連続40本塁打超え、球団初の打点王に 山本浩二

113打点を稼ぎ出し自身初、そして球団史上初の打点王に輝いた山本浩二。

【1979年成績】
130試合 467打数 137安打 打率.293  42本塁打 113打点 15盗塁

 開幕直後こそ打撃面で不安を残したが、6月以降は本来の姿を取り戻した。1979年のカープに関しては突出した成績を残した髙橋慶彦や江夏豊を軸に語られることが多いが、山本浩二も他を圧倒する好成績を残している。中でも本塁打と打点は、3年連続で40本塁打超え&100打点超え。この頃になると『ミスター赤ヘル』の枠を超え、球界を代表するスラッガーとして認知されていた。前年、王貞治に競り勝ち自身初、球団史上初となる本塁打王に輝いた男は、やはり別格中の別格といえる存在だった。