『10』に代表されるように、サッカー界においてもたびたび話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

1995年から2006年(2000年は期限付き移籍)まで、サンフレッチェ広島でプレーした大木勉(写真右)

◆20番を背負った選手のポジションはさまざま

 今回取り上げる背番号『20』は、前回紹介した『13』と同じく、特定のポジションをイメージさせる番号ではない。サンフレッチェの歴史を振り返っても、さまざまなポジションの選手が20番を背負っている。

 固定背番号制が始まった当初は、1年ごとにつける選手が変わった。1997年はMF若井研治、1998年はMF金本圭太、1999年はFW松永一慶で、いずれも同年を最後に退団している。

 2000年に20番をつけたMF森﨑和幸は、サンフレッチェ広島ユース所属の高校3年生だった1999年にJリーグデビューしたときは38番で、20番はプロ1年目の背番号。やはり1年限りで変更して翌年に8番となり、2018年限りで現役を引退するまで8番でプレーしたのは、この連載の第1回で記した通りだ。

 2001年からはFW大木勉が『20』をつけた。固定背番号制が始まる前の1995年にサンフレッチェに加入し、12番と14番をつけたのち、2000年は大分トリニータに期限付き移籍。2001年は当初、半年間の契約での復帰だったが、その後の活躍で契約延長を勝ち取り、そのまま2006年限りで退団するまで20番をつけた。

 ニックネームは名前の「勉(すすむ)」を音読みした「ベン」で、ゴール前での鋭い動き出しやシュートのうまさが光り、FW久保竜彦の成長に大きな影響を与えた。久保が1998年に初めて日本代表候補に選ばれた際は、年代別代表のチームメイトだったMF奥大介に連絡し、面倒を見てくれるように依頼したというエピソードもある。そのおかげもあって久保は奥と親しくなり、のちに横浜F・マリノスと横浜FCではチームメイトになった。

 2007年から4年間はMF田慎一朗、11年からはMF石川大徳が20番をつけた。2010年から2013年途中までサンフレッチェでプレーした石川は、在籍中の公式戦での得点は1点のみだったが、その1点は2012年のJ1第33節、初優勝を決めたセレッソ大阪戦で決めたもの。MFミキッチの出場停止でチャンスをつかみ、歴史的な一戦で結果を残した。

 2014年から2016年まで空き番号となった20番は、2017年7月からオーストラリア国籍のFWネイサン・バーンズがつけた。この年のサンフレッチェはJ1残留争いを強いられており、巻き返しの切り札として期待されたが、ケガもあって1試合も公式戦に出場することなく、同年限りで退団している。

 これを機に20番はFWの番号となり、2018年はFW渡大生、2019年はブラジル国籍のFWドウグラス・ヴィエイラがつけた。2020年からはFW永井龍がつけていたが、今年7月にファジアーノ岡山に期限付き移籍している。

 入れ替わるように8月から背番号20をつけているのが、FWピエロス・ソティリウ。Jリーグ史上初のキプロス国籍の選手で、同国代表でもプレーしている。加入会見で背番号20を選んだ理由を聞かれると「あまり番号が残っていなかったので」と笑い、以前プレーしたクラブでつけていた20番に決めたそうだ。

 来日2試合目となった8月27日のJ1第27節で早くも初ゴールを決め、サンフレッチェ伝統の『弓矢ポーズ』を披露してファン・サポーターを喜ばせた。今季はリーグ戦だけでなく、9月21日と25日に準決勝を戦うYBCルヴァンカップ、9月7日に準々決勝が行われる天皇杯も残っているだけに、7年ぶりのタイトルに向けて新20番のさらなる爆発が期待される。