◆交流戦の連敗は、いい戒めになった

 というのもそれまでの戦いぶりを見て、メディアなどは「今年の優勝はカープで決まり」みたいなことを書き立てることが増えていた。しかしそんな甘いものではない。チームに対して手応えはあるが、これが優勝できるチームかと質問されたらそうではないと思っていた。そんな中での交流戦の連敗は、いい戒めになったというか、野球の神様がお説教してくれたのだと感じていた。

 連敗中に気をつけたのは、とにかくチームに不協和音が起こらないことだった。チームの調子が悪くなると誰かのせいにしたくなる。特にメディアは「〇〇が打たれたから」「××が打てなかったから」と無責任に書くが、僕らはそれを極力抑えなければいけない。ただ、何も吐き出さないと内に溜まってしまうので、そういうものを小出しにしながら、いかに建設的な議論に持っていくかを考える。

 やはりチームというのは、ひとつ和を乱してしまうと、簡単に崩れてしまうものなのだ。僕が5年間、何度も大型連敗を経験して学んだのは「耐えるときは耐える」というあまりに単純な結論だった。ここでペナントレースが終わるわけではない。せっかくチームは成長しているのに、ひとつ壁に当たったからといってこれまで積み上げてきたものをすべて吐き出してしまうのは、あまりにもナイーブすぎると僕は思う。

 その連敗を止めてくれたのは6月15日、ロッテ戦のエルドレッドの満塁ホームランだった。あの打球がスタンドに入るまでの数秒は本当に長く感じた。千葉マリンスタジアム(現ZOZOマリンスタジアム)は風が強いので「行った!」と思っても、押し返されることがしょっちゅうある。

 打球が飛んでいる間、「風に戻されて大きなセンターフライで終わるのでは……」というイメージが頭をよぎった。一度はセンターもこちらを向いて、捕球の態勢に入ったように見えた。ボールはそのはるか上のバックスクリーンを直撃した。あのときのうれしさは、他には比べようがない。

●野村謙二郎 のむらけんじろう
1966年9月19日生、大分県出身。88年ドラフト1位でカープに入団。プロ2年目にショートの定位置を奪い盗塁王を獲得。翌91年は初の3割をマークし、2年連続盗塁王に輝くなどリーグ優勝に大きく貢献した。95年には打率.315、32本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成。2000安打を達成した05年限りで引退。10年にカープの一軍監督に就任し、積極的に若手を起用13年にはチームを初のクライマックス・シリーズに導いた。14年限りで監督を退任。現在はプロ野球解説者として活躍中。