“覇気”を代名詞に、15年間カープでプレーした安部友裕。25年ぶりのリーグ優勝、さらに球団史上初の3連覇に大きく貢献し、2022年限りで現役を引退した。

 安部氏が現役時代を語る本連載。今回はリーグ3連覇、野球人生のターニングポイントともなった出来事などについて振り返る。

2017年、初の規定打席に到達した当時の安部友裕氏。

◆山あり谷ありの3連覇

【前編はこちら】

 2016年は、下積み時代の長かった僕が“クビ”を覚悟してから1年後に、人生初の“リーグ優勝”と“ビールかけ”を体験した年となり、翌2017年は僕にとってキャリアハイの成績を残す1年となりました。

 この時期は、どんなに速い球を投げる投手が相手でも「真っ直ぐは絶対に打てる」という自信がありました。2017年から2019年までの3年間、僕は開幕スタメンで使っていただくことになるのですが、チームとして、“開幕は安部で戦おう”と決めていただけたことは、“クビ”を覚悟した僕からしたら、本当にうれしいことでした。

 この年は、9月18日の甲子園球場でカープの優勝が決まります。初の規定打席に到達し、チームトップの打率.310という記録を残すことができ、プロ野球人生の中でも、絶好調の時期だったと言えるでしょう。

 しかし、良いことも長くは続きませんでした。優勝を決めた9月18日の阪神戦での出来事でした。

 この試合で僕は右ふくらはぎに死球を受けたのです。あの試合は、僕のプロ野球人生の分岐点だったと言えます。試合が終わり、3、4日経った頃、家でくつろいでいると、突然激痛が走り、ふくらはぎが痛くて動けなくなったのです。すぐに救急で病院に運ばれ手術をすることになりました。その後、手術の影響もあり、持病の腰がさらに悪化してしまいます。2017年オフには腰痛が激しくあまりトレーニングをすることもできませんでした。

 それでも2018年は一軍に呼んでいただけたことへの感謝の気持ちもありながら、成績を落としてしまいます。開幕スタメンでスタートしましたが、5月の月間打率は.091と結果を残すことができず、その後二軍で調整をすることとなります。

 ただ、ここでもたくさんの学びがあったと感じています。自分自身で体に鞭をうち、その後再び一軍に昇格すると7月は月間打率.417という結果を残すこともできました。その後、ケガの影響で長期離脱もありましたが、チームは見事3連覇を達成し、ソフトバンクとの日本シリーズでもまた忘れられない出来事がありました。

 僕は全6戦にスタメン出場させていただいたのですが、第3戦目で(鈴木)誠也(現カブス)と僕は1試合2本のホームランを放つという、日本シリーズ史上初の快挙を成し遂げることができました。残念ながらこの年もカープは日本一を手にすることはできませんでしたが、ケガを乗り越え、記録にも記憶にも残る1年となりました。

 良いことも悪いことも含め、僕にとってこの3連覇の日々は激動の毎日でした。これまでの人生においても、これからの人生においてもさまざまなことを学ぶことができ、指導者になりたいという目標もできました。そして、マネジメント力、チーム力、組織力とは何かということを考え始めた時期でもあります。この時期がなければ今の僕はいないと思っています。“光”も見て、“闇”も見て、“どん底”も味わいました。その中でどうすれば乗り越えられるのかを考え、その方法を学びました。

 カープは25年間優勝から遠ざかっており、優勝を経験することなく引退された方もたくさんいらっしゃったと思います。山あり谷あり、どん底は経験した人にしか分からないことです。

 成功体験と失敗体験が詰まっていた、この3年間を僕自身で克服できたこと、こんなに素晴らしいリーグ3連覇という経験を味わうことができた僕は本当に幸せでした。

◆安部友裕(あべ ともひろ)
1989年6月24日生、福岡県出身、33歳。2007年に高校生ドラフト1位でカープに入団。一軍定着までに苦戦したものの、プロ9年目となる2016年に115試合に出場し、25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。翌年2017年には初の規定打席に到達して打率3割を記録。リーグ3連覇に主力として貢献した。2022年限りで現役を引退。通算成績は700試合、打率.264 443安打 25本塁打 160打点 49盗塁。

広島アスリートマガジン5月号は、「まだ見たい!もっと見たい!」勝利を知る経験者たちの魅力をお届け!カープ3連覇を支えた投打の主力たちの現在地に迫ります。