2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。

 共に紫のユニホームを着たチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を、広島アスリートマガジンの連載『エースの証言』で振り返っていく。

2008年から広島でプレー。移籍を経て2020年に復帰し、2023年、現役引退を発表した。

◆出場機会が少ない時期を経て、J1初優勝の年、ついに飛躍

 航平がサンフレッチェに加入したのは2008年、当時のポジションは僕と同じFWでした。ストライカーというタイプではありませでしたが、高校2年生のときにインターハイで得点王になったのは知っていて、体のサイズは決して大きくないのに左足のシュートはパンチ力があり、能力が高い選手だと感じました。

 この年のサンフレッチェはJ2で、10月の第41節、航平がプロデビュー戦で初ゴールを決めたときは、僕がアシストしています。交代出場してすぐに、縦パスを航平がダイレクトで僕に落とし、僕もダイレクトでスペースに送って、走り込んだ航平が左足で蹴り込みました。

 1年目はリーグ戦4試合出場1得点、悪くないスタートでしたが、J1に昇格した翌2009年は1試合出場0得点、2010年は4試合出場0得点。航平はFWに加えてサイドなど、いろいろなポジションでプレーしていましたが、なかなか出場機会は増えませんでした。

 この時期で印象に残っているのは、当時コーチだったヨコさん(横内昭典)の指導です。

 同じ東海大五高(福岡)出身の航平に、厳しくも愛情を持って接していました。僕も一緒に居残り練習をするときに声を掛けたりして、良い形で成長していると見守ってきましたが、公式戦出場には至らず、2010年はリーグ戦で1試合も出場できませんでした。

 いまにして思えば、その状況で4年間サンフレッチェに在籍したのは珍しいです。韓国のクラブに期限付き移籍するという話もあったそうですが、実現しませんでした。ただ一緒に練習していても、試合に出るのは無理というレベルではなかったですし、それだけスタッフは期待していたのだと思います。

 ついに航平が飛躍したのは、ポイチさん(森保一)が監督に就任した2012年です。シーズン途中から左サイドのレギュラーとなり、リーグ戦24試合出場4得点。さらに多くのアシストも記録してJ1初優勝に貢献しました。第33節、ホームで初優勝を決めたC大阪戦で、優勝以外にも忘れられないシーンがあります。20分、左サイドで僕からのパスを受けた航平がサイドチェンジ。右サイドに走り込んだノリ(石川大徳)がヘッドで落とし、トシ(青山敏弘)が右足ボレーで決めた2点目です。航平やノリとは、よく一緒に居残り練習をしていました。両サイドからセンタリングを送ってもらうときに、ボールの質やコースを細かく要求し、厳しいことを言ったときもあります。

 その2人が、あの大一番で貴重なゴールをアシストしたことが、本当にうれしくて。トシが右サイドで喜んでいたので、他の選手はそちらに集まっていきましたが、僕は航平のところに走っていって、2人で喜んでいました。