2015年、三度目となるリーグ優勝を果たしたサンフレッチェ広島。正GKとして広島のゴールを守り続けた林卓人だが、加入当初は周囲のレベルの高さに圧倒されていたという。2023シーズン限りでピッチを去った守護神が、自身のキャリアをサンフレッチェ広島OB・吉田安孝氏とともに振り返る。(取材は2023年12月、全5回・第3回)

2015年、不動の守護神としてリーグ優勝に貢献した林卓人氏

◆「レギュラーが決まっている」という状態が嫌だった。

吉田「加入当時の話をもう少し聞いていきたいんだけど、卓人が広島に加入したのは2001年だったよね」

「そうですね。高校を卒業してから加入しました。正直、当時はここまでできるとは思っていませんでしたね。『3年でクビかもしれない』とさえ思っていました。そのくらいレベルの差を感じました。当時もそうですし、自分の後に加入してきた選手たちも、みんな僕が18歳の時よりも上手いと思っていました。自分は、かなりレベルが低かったと思います」

吉田「でも、その分努力をしたからこそ、広島の正GKの座もつかんだわけでしょう」

「中学の頃からずっと、自分がレギュラーだったということがまずなかったんです。いつもセカンドから這い上がって……という感じでした。人よりも負けず嫌いな性格だったのもありますし、当たり前にレギュラーが決まっているというのがすごく嫌で、高校の時も、なんとか崩してやろうという気持ちでプレーしてきましたね」

吉田「じゃあ、広島に加入していきなり挫折したということ?」

「いやいや、『挫折』ではないですね。僕は、人生で挫折したことはないというか……挫折するほど自分が上手いと思ったことがないんです。寮生の頃は、いつも帰りの寮バスで泣いていて恥ずかしかったのですが、少しメンタルがへこんだくらいでは、挫折とは言わないと思っています。大きなケガをした選手もたくさんいますし、レベルの差を感じることはあっても、それ以上に『強くなりたい。上手くなりたい』という思いがありました。そして、広島でプレーしていれば、上手くなれるという手応えもありました」

吉田「なるほど。そうした思いの中、広島で4年間プレーして、2005年に札幌に移籍をするわけだけど、あの決断は卓人の中で正解だったと感じている?」

「どうでしょう……それは分からないですね。広島に残っていた方が良かったのかもしれませんし、正解・不正解を出すのは難しいと思います。ただ、いずれにしても選んだ方を正解にするしかないと思っていましたし、あまり振り返ったこともありません。当時はケガもしていて、広島に残っていたらそれはそれで甘えていたかも知れません。広島を出たことで厳しさを知って、『ああ、広島って良い環境だったんだな』と気づくことができた部分もあるので。残っていたら、もっと早くに終わっていた可能性もありますし、そこは本当に分からないですね」

(第4回に続く)