今もなお、カープファンの記憶に残る選手として根強い人気を誇るカープOB・新井貴浩氏。2016年からの3連覇の象徴とも言える存在である新井氏の野球人生はどのようなものだったのか?

 連載第2回に語るのは、若手時代に経験した想像を絶する猛練習について。実際に身を以て経験したからこそ語れる、“伝統の意義”を当時のエピソードと共に振り返っていく。

徹底的な猛練習を耐え抜き年々成長を遂げていった新井貴浩氏

◆トコトン“やらされる練習”も大事

 プロ1年目の1999年、カープの監督は達川光男さんでした。『カープの練習は厳しい』とは聞いていましたが、自分は広島工高、駒澤大と練習が厳しい環境でやってきて、特に駒澤大は大学野球界の中でも1、2を争う厳しさだという自負がありました。なので『大学よりは厳しくないだろう』と思っていました。ところが、大学より全然キツい練習じゃないかと……(笑)。当時の僕の気持ちを一言で表すと『え? プロ野球ってこんなに練習するの?』そう思いました(苦笑)。

 特に印象深いのは、キャンプでのアップが2時間あったことです。午前中はひたすら強化走などの体力強化をこなしていましたが、『アップが終わった時点で、その日の練習が終わった』と思えるくらいのキツさでした。アップが終わった後に実技練習を行いますが、アップを乗り切った直後だけに、ある意味ホッとした気持ちで練習をしていた記憶があります。ただ、毎日がキツかったですね。

 早出でノックを受け、そこからアップを2時間。その後10分程度のランチを経て、守備練習、居残り特打です。夕方宿舎に帰ってご飯を食べたら、8時くらいから夜間練習なのですが、素振りを1000本やるまで帰れない、など……(笑)。当時はもう、自分がうまくなっているかどうかも分からないですし、とにかく『その日その日を乗り切るにはどうしたら良いか?』しか考えられませんでした。それと同時に『いかに手を抜くか』ということも考えていましたし、それぐらい練習がキツかったですね。それこそ1年目は首根っこをつかまれて、朝から晩まで、キャンプだろうがシーズン中だろうが練習をやらされていたイメージです。

 よく『やらされる練習は意味がない。自主的にやらないと意味がない』と聞きますよね。僕は『中途半端に練習をやらされたら意味がないけれど、徹底的にトコトンやらされたら身になる』と思っていますし、それを身を以て体感したと思います。

 ですから当時のカープは12球団で一番厳しい練習だった自負があります。プロ入りした大学の頃から仲が良かった選手に話を聞いたりすると……『え? そんなに違うの?』と思うことばかりでしたし、他のチームの選手の情報を聞くと、カープの練習がいかに凄まじかったかよく分かりました(苦笑)。