今季限りで現役引退したカープ・野村祐輔は明治大時代、1年生から主戦投手として東京六大学を投げ抜き大学球界を代表する投手となった。明治大の監督として4年間野村を指導してきた善波氏が、「特別」と表現する教え子への思いを語る。
◆「野村の失敗は自分の失敗」そういう気持ちで共に歩んだ
教え子が現役を引退するというのは、やはり寂しい思いがあります。それと同時に私としては、その寂しい気持ち以上に、しっかりやってきてくれたことに対して誇らしい思いもあります。とにかく、よくやったなと。
引退を発表する少し前にノム(野村祐輔)から直接連絡をもらいました。そのときは『この時が来てしまったんだな……』というのが率直な思いでした。私は「これだけしっかりやってきたんだから、自分でしっかり考えて、相談すべき人に相談をして、最後は自分で決めろよ」と伝えました。ノムが選んだことは尊重したいですし、良い決断だったのではないかと思います。
これはあくまで個人的な思いですが、例えばですが『中継ぎ』としてでも現役続行をしたとして、これまで先発だけをやってきた投手のリリーフ登板というのは見たくないと。当然リリーフの経験は良い事です。しかし、ノム自身はここ数年二軍で汗をかき、もがき苦しんでいました。もし、もう一度ノムから相談があれば、そう伝えようと考えていました。
明治大で4年間、監督と選手という関係でノムと一緒に野球をやってきました。彼の存在は広陵高時代から知っていましたが、私が前任の川口啓太さんから監督を引き継ぐことになった2008年に、ノムが入部してきました。私としても監督1年目でしたし、彼に対しては特別な感情を持ちながらのスタートでした。同時に広陵高でしっかりと育ってきたノムを中井監督から受け継ぎ、『しっかり育てないと』という思いもありました。また、明治大野球部の育成システムを新たに構築していかなければならない中で、指導者の私としても、最高の選手に出会えたという思いでいました。
ノムと過ごした4年間、いろいろな事がありました。実力がある投手だったので1年生の頃から投げてもらいましたが『ノムの失敗は私の失敗』という思いでした。彼の成功や失敗により、明治大の育成方法を変えた部分が多くありました。言わば、ノムに育ってもらった部分と、私自身が育ててもらった部分があり、明治大のシステムを一緒につくってきたように思います。彼が体調を崩すことがあれば、栄養士の先生に相談し、試合前の食事、寮での食事の摂り方などを見直しました。また彼の意識が変わったタイミングで、投手陣を中心にパーソナルトレーニングを行ったり、メンタルトレーニングを取り入れたりと、あらゆる面で野球部のシステムが変わっていきました。