2017年4月11日、新井貴浩から代わる形で当時22歳の鈴木誠也が初めて4番に抜擢された。あれから3シーズンが経過した。今ではカープの枠にとどまらず、日本の4番として押しも押されもせぬ存在となっている。今季のペナントレースでも、打撃成績各部門の大半で上位に名を連ねるなど、4番としての迫力を増し続けている。

 振り返ればカープにはこれまで勝負強い打撃を兼ね備えた和製大砲が数多く存在した。ここでは数々の殊勲打を放ってきた、リーグ初優勝以降の“生え抜き4番”の歴史を辿っていく。

4番に座って4年目となる今季も、鈴木選手は他を圧倒する打撃を見せている。

◆「ミスター赤ヘル」山本浩二 1975-1986
<通算成績:2284試合 2339安打 536本塁打  1475打点  打率.290>

 1968年ドラフト1位で法政大から入団。1年目からレギュラーに定着し、75年6月下旬から4番に座る。同年打率.319、30本を達成し、首位打者のタイトルを獲得。チームに初優勝をもたらす活躍でシーズンMVPを受賞した。その後も79、80、84、86年とチームが優勝を果たしたいずれの年も4番としてチームを牽引。引退した86年まで4番の座を譲らず、球界を代表する4番打者として、その名を轟かせた。

◆「赤ヘルの若大将」小早川毅彦 1987-1989
<通算成績:1431試合 1093安打  171本塁打 626打点 打率.273>

 1983年ドラフト2位で法政大から入団。背番号6を背負い、1年目からクリーンアップとして打率.280、16本塁打をマーク。“赤ヘルの若大将”として活躍を見せ、新人王を獲得した。1986年に山本浩二が引退すると、入団4年目の翌1987年から勝負強い打撃を期待され4番として起用された。同年にキャリアハイの24本塁打をマークすると、リーグ最多の勝利打点16を記録するなど勝負強い打撃を見せた。