プロ野球の世界のみならず、アスリートにとって『背番号』は時に選手の代名詞となるなど、大きな意味を持つことも少なくない。ここでは時代を彩ったカープ選手たちの足跡を、その背番号と共に振り返る。今回は、背番号『33』を取り上げる。
◆『忍者』と称される華麗なる守備
1975年ドラフト3位で入団した長内孝が入団時に背負っていたのが『33』。1978年にウエスタン・リーグで打撃二冠を獲得するなどの成長を見せるも、黄金期のチームにあって長い二軍暮らしを余儀なくされた。努力が実って一軍レギュラーに定着したのは8年目の1983年で、この年を最後に背番号を『9』に変更している。その後は1989年に開幕4番を打つなどの活躍を見せている。
1985年からこの番号を背負った川端順は、法政大から東芝に進み都市対抗野球大会優勝の原動力となると、1983年にカープからドラフト1位指名を受け入団。『13』を背負ったルーキーイヤーは15試合(先発2試合)の登板でわずか1勝1セーブにとどまったものの、『33』になった1985年、二軍でパームボール、通称“バタボール”を習得したことをきっかけにブレイクを果たした。1989年限りで背番号が『17』に変更されると、その後に『33』を背負ったのが江藤智だ。1988年のドラフト5位で捕手として入団し、当初は『51』を与えられたが、2年目の1990年から『33』に。1992年からは内野手に転向し、翌1993年から三塁の定位置をつかむと本塁打王のタイトルも獲得。1999年限りで巨人にFA移籍するまで『33』を背負い続けた。
2000年から2002年の3年間は、外国人助っ人も背負っている。2000年に入団したジェフ・ボールがシーズン途中で退団すると、1996年から2年間在籍して2年連続打点王を獲得していたルイス・ロペスがダイエー、米独立リーグを経て復帰。フルシーズン出場した2001年は打率.308、32本塁打、100打点と変わらぬ打撃力を見せたが、翌2002年途中で退団した。
その後は、2012年から現在まではドラフト2位入団の菊池涼介が背番号『33』を背負っている。類まれな身体能力を生かし“スーパーセカンド”として活躍する菊地は、10年連続ゴールデン・グラブ賞を達成するなど輝かしい成績を残してきた。背番号『33』とともにどこまで活躍してくれるのか、カープファンならずとも注目せざるを得ない唯一無二の存在だ。
【背番号『33』を背負った主なカープ選手】
長内孝(1976年-1983年)
川端順(1985年-1989年)
江藤智(1990年-1999年)
鞘師智也(2003年-2010年)
豊田清(2011年)
菊池涼介(2012年-)